■2011.5.4
今日も比較的余裕のある旅程で、短距離路線である京元線に乗車したあと、午後は温陽温泉に行って日帰り入浴してくるだけである。「だけ」と書きながら、結果的には一日ほとんどを潰してしまうのであるが。
京元線は途中まで電化され近郊路線が乗り入れるようになったため、レールパスで乗車できるのは非電化部分の東豆川(トンドゥチョン)駅以降である。東豆川まではかなりの駅数があるが、まぁ2時間半前に宿を出れば充分だろうと思い、6時20分前に出て地下鉄5号線に乗った。
新吉(シンギル)で1号線に乗り換え、あとはひたすら乗り続けるのみであるはずだが、東豆川や逍遥山(ソヨサン)行の電車が来ない。取り急ぎ来た電車に乗り、その終着駅で降りては続いて来た電車に乗り、結局東豆川に着いたのは8時40分、京元線の列車の出発まであと10分しかなかった(午後の予定を考えると、8時50分発を乗り過ごしたら京元線は諦めて戻るはめになっていた)。ソウル近郊から乗り継ぎ時間も含めて約2時間乗り通しで結構疲れたが、何よりの驚きは料金(たったの1,800ウォン)である。日本の都営地下鉄なら、ほんの2~3駅しか乗れないだろう。
さて、今回の鐡旅で初めてのトングン号(通勤列車)である。韓国内でもその数はめっきり減り、時刻表でもこの京元線と京義線にしか見当たらない。

@よく考えたら、初自由席
車両は5両繋がっており、すべて自由席である。乗車率は9割弱(ハイキング客が半分ほどを占めている)というところで、山あいに近いせいか、暖房も入れられている。反対側のホームに終着の新炭里(シンタンリ)から来た列車が到着したり、ソウル方面からの電車から乗り継ぐ乗客を待ってあげたりして、定刻より3分遅れの8時53分に出発した。
しばらくは左手に川が沿い、川辺では住民が魚を掬ったりしている。川が見えなくなったかと思うと今度は軍事施設が見えたりするため、今自分自身が「そういう地域」にいることを実感させられる。
漣川(ヨンチョン)には9時18分に到着し、対向列車とすれ違う。ここで、乗客の3割くらいは降りてしまった。

@乗客に軍人が混ざっているのはよくある風景
新望里(シンマンリ)では、駅員らしき風貌のおじさんが、下車した乗客の切符を回収しているのを見つけた。韓国に来て5日目、初めて改札業務に近いものを見た気がするが、全席指定席のセマウルやムグンファと違い、自由席だけのこの列車では必須の業務であろう。
終着駅の新炭里には、定刻に到着した。途中で降りたハイキング客もいたが、その手の装備をしている人のほとんどは終着駅で降りていった。駅前には彼らのためのマイクロバスが停まっており、それに乗り込んでいく人たちがいる。またグループによっては、駅から直接歩いて行く人たちもいる。
駅構内は様々な物が展示されており、良く言えばホスピタリティに溢れており、悪く言えば列車本数が少なくて暇なのかしら、という感じである。

@オブジェ(?)だらけの駅構内
駅前には観光案内図があり、この先に鉄道分断点があるということなので(本来は北朝鮮側まで繋がっている路線であった)、そこまで歩いてみることにした。
ハイキングルート(への入口)らしく、その手の格好をした人たちも分断点へと向かっていく。その後ろをついていき、彼らは右手にある山へ、私は線路が切れている分断点へと行った。駅からは歩いて7分程度のところである。事前に調べた限りでは、この先のあと1駅分の延伸工事がされているということであったが、それらしき雰囲気はなかった。

@以前は北側と繋がっていました
来た道を戻り、駅へと行く。何も言われなければ「単なる田舎の終着駅」であるが、すぐ先には別世界があるという特異な地域である。
10時ちょうど発の列車で、東豆川へと戻った。沿線では、養豚場より狭い檻にぎっしりと犬が飼われているのが見えたが、これは当然ペットではないし、またブリーダーの小屋というわけでもない。要するに、食肉として卸される運命の犬たちである。
東豆川に到着した後は、また近郊路線を延々と乗り続けた。日本との違いは、物売りが次々とやってくるところである。彼らは同じような商品カートを引き、同じパターン(まず車両中央で挨拶し、商品の説明をし、サンプルを持って車内を右往左往する)である。堂々とやっているところから、恐らくは鉄道会社から許可を得ているのであろう(もしかしたら無許可かもしれないが)。
だんだんと乗客が増え始め、乗り続けること1時間半以上、東大門で下車した。時間的には昼食時であるのだが、東豆川への往復で予想外に時間がかかったため、あまり時間をかけていられない。私の会社の同僚に韓国人がいて、事前にサムゲタンの店を教えてもらっていたのだが、とてもそこまで行く時間はないし、案内書で目星をつけていた北京冷麺の店もあるが、オーダーを取って作ってもらっていたのではそれなりに時間がかかってしまうだろう。少し考え、目星を付けておいたフードコートで昼食を取ることにしたため、ここで降りたのである(普段は昼食を食べないから無理に食べる必要はないのだが、せっかく海外に来てその土地のものを食べないのももったいない)。

@悩んだ挙句、注文したのがこれ(1割引きで6,300ウォン)
ビルの7階にあるフードコートで辛い辛い定食を平らげてから、再び地下鉄でソウル駅へと戻り、ヌリロ号へ乗るためにホームへと降りていった。KTXの発着するホームとは若干離れた1番線と2番線が、ヌリロ号専用のホームのようであり、すでに入線していた。

@ヌリロ号
片方は観光用に塗装されていたが、私が乗るべき13時47分発の車両は普通の塗装であった。車内に乗り込むと、なんとなく慣れ親しんだ感じがするが、それもそのはずで、この車両は2009年に日立が製造したものである。韓国の車両製造といえばヒュンダイ・ロテムが有名であるが、最近ではこのように日本からの輸入も再開しつつある(当然のことながら、韓国の基礎技術が確立されるまでは、日本からの輸入が中心であった)。
車両には目新しさを感じるが、これから乗る路線自体は、2日目にすでに乗ったところでもある。定刻に出発後は、ぼんやりと沿線を眺め続けた。
ヌリロ号の終着駅である新昌の一歩手前にある温陽温泉で降り、目星を付けておいたホテルへ行って日帰り温泉に浸かった。異国において日帰り温泉に浸かるというのも、今回の旅での一つのミッションであった。火山帯ではないため日本の山あいの温泉のような香りなどは感じられないが、地元民のたくさん入っている湯船に浸かることで雰囲気は楽しむことができた。料金は5,000ウォンで、物価からすると少し高い気もするが、ホテルの施設ということも理由にあるのだろう。風呂上りには「牛乳」という定番をしてみたかったが、脱衣所の自販機には残念ながらそれはなかった。

@露天風呂(うたせ湯)あり
風呂のある施設を出てからは、近場にあった賑やかな市場を散策し、駅付近で行われていたフリーマーケットを見てから、セマウル号でソウル市内へと戻った。
■2011.5.5
昨日まではソウルをねぐらにして移動していたが、今日は宿泊地の関係で荷物を持って移動しなければならない。小さなリュック1つだけで大した量ではないが(替えの衣類一式と最低限の資料、あとはパソコン程度)、やはりそれなりに重さはある。
朝の5時20分過ぎに宿を出て、始発に乗るため地下鉄の駅に向かった。しかし券売機で買おうとしたのだが、機械の蓋が開けられて何やら点検されている。自動改札の調子も悪いようで、駅員はあちこちの機器を開けてなにやら確認作業をしているが、どうにもうまく動かないようである。
券売機を使いたいという旨を英語で伝えたが、すぐには直らないようである。駅員が日本語で「ドコ?」と訊いてきたので、「ソウルステーション」と答えると、改札の中へ入っていいようなジェスチャーをしたので、私は何か一筆書いてくれるように身振りをしてお願いしたら、紙の裏に何やら書いてくれ、「ドモスミマセン」と言ってそれをくれた。
無事に(?)地下鉄に乗り、ソウルでは駅員詰所のような場所へ行ってその紙を見せ、改札横から出させてもらった。料金は払っていないが、まぁいいのだろう。

@切符代わり(?)となったメモ紙
今日は、初めてKTXに乗る予定である。フランスのロスアトム社の技術を使用したKTXであるが、2009年に純韓国製の山川(サンチョン)号がデビューしており、今回の鐡旅では両方に乗車して比較してみる予定であった。しかし、一昨日に指定券を発券してもらった際に、希望した旧いKTXの5分後に出発する山川号にされてしまい、「旧い方に乗りたいから替えてくれ」とも言えず、結局、旧い方には乗れずじまいであった。まぁすぐに無くなるものでもないから、次回に乗ればいいだろう。
件の山川号であるが、華々しくデビューしたものはいいものの、相次ぐトラブルや脱線事故などで、その評価は必ずしも高くない(今回の鐡旅から帰国してからも、台車周りでの深刻なトラブルが発見されたとのニュースがあった)。

@山川号
ヒュンダイ・ロテム社製の山川号は、定刻より2分遅れの6時37分にソウルを出発した。新しいだけあって室内は洗練されているが、難癖を付けるとすれば、窓にあるブラインドが縦2列分まとめて1枚になっている。これでは、窓の外を見ていたい観光客と、暗くして寝ていたいビジネスマンが前後の窓側に並んで座った場合、ちょっとしたトラブルになりかねない。あと、ムグンファ号の車両にはないテーブルが備え付けられたのはいいものの、それが足元にあるため膝周辺の空間が狭くなってしまっているのと、機器的な点としては、ブレーキ音がやたら大きいという点が気になった。
しばらくは京釜線を走り、地下にもぐったかと思うと光明(グヮンミョン)に到着、そこから先は専用の高架で快走し始めた。車内販売もあるようで、あまりメニューは多くなさそうだが、小さなワゴンが目の前を通っていった。
高速列車を堪能した後は、大田(テジョン)で下車し、ソウルから来たムグンファ号に乗り換えた(ソウルからこれに乗ってくればいいだろうと思われるだろうが、ソウル出発が5時50分であり始発の地下鉄に乗っても間に合わないため、このような乗り継ぎ旅程にしたのである)。ほぼ定刻にやってきたムグンファ号は100%に近い乗車率であり、ここでも自転車を載せている乗客がいたりした(電源車の一部に自転車を載せられるようである)。
京釜線を南下し、金泉(キムチョン)で下車。ここから先の慶北線が本日の旅程のボトルネックとなる部分であり、1日に4往復しか走っていない区間である。しかし、過疎地を走るローカル線というわけでもなく、入線してきたムグンファ号も6両編成でそれなりに乗客も乗っていた。

@釜山からやってきたムグンファ号
金泉出発は定刻の9時09分。ローカル線ではないと書いたが、京釜線のような路盤改良がされていないため、右に左にと路盤は蛇行しながらゆっくりと走っていく。時々廃駅を通過したりするが、沿線の民家は思っていたよりも多い。
10時17分、貨物線(現在では旅客扱いされなくなった路線?)の路盤が合流してきてから店村(チョムチョン)に到着した。駅構内には、石炭貨物車両が山ほど連なっている。しばらくすると龍宮(ヨングン)という駅で、構内にはやはり大きな龍の像が設置されていた。そんな様子を眺めていると、ムグンファ号では初めての車内販売ワゴンが通り過ぎていった。先ほどのKTXといい、すべてが廃止されたわけではなさそうである(しかし、1週間の旅行で車内販売を見たのはこの日だけであった)。
その後は、右手にしばらく軍関係施設が続き、醴泉(イェチョン)で対向のムグンファ号とすれ違い、終着の栄州(ヨンジュ)には11時31分に到着した。

@栄州駅構内
栄州は、これといった特色のない、地方の一都市である。特にすることもないが、2時間ほど暇があるため、韓国では初の「一般の食堂で注文」をしてみることにした。しかしこのような地方都市では日本語や英語が通じない可能性も高いため、あまりメニューの多い焼き肉店などでは困ることもあるかもしれないと思い、いかにもカルグクスを売りにしていそうな看板の店に入りそれを注文した。昨晩食べすぎたため、麺だけであっさりという考えもあったのだが、韓国にありがちな副菜たっぷりの内容で(もちろん、キムチ類は少し手を付ける程度だけにしたが)、お腹はかなり苦しくなった。

@ご飯(蓋をしたままですが)もあるので、かなり多い
その後は駅付近の寂しい市場などを散策し、13時30分発のムグンファ号で安東(アンドン)へ向かった。30分ちょっとで到着したが、駅前には釈迦誕生日を控えた大きな装飾(置物)が置かれている。あまり仏教色の濃くない韓国であるが、やはりこの時期はいくつかの都市でこのようなものを見かけるようになる(先ほどの栄州駅前にもあった)。

@たぶん釈迦誕生日が関係している
両班と仮面劇で有名な安東であるが、タクシーを駆使して観光するほどの時間も気力もないため、歩いていけるところにある新世洞七層磚塔へと向かった。あまり観光客が大挙して来るような場所でもないようで閑散としていたが、塔だけではなく古民家もあり、解説には日本語も併記されていた。駅へ戻る途中、珍しく大きな寺があったので寄ってみたが、やはり釈迦誕生日のための準備(装飾した車でのパレードの用意)の真っ最中であった。

@歩いて行った塔
駅へ戻ってからは、15時15発のムグンファ号で再び栄州方面へ移動した。15時51分には再び栄州に戻ってきたが、先程は気づかなかったのだが、駅舎に一番近いホームの脇に、韓国では2005年に定期運用から全廃された寝台車が放置されているではないか。停車時間もあったため、降りてそれを写真に収めた。

@窓の配置からして寝台車両です
対向列車が遅れたため、定刻より2分遅れの15時59分に栄州を出発した。しばらくすると峠に差し掛かり、山深くなったかと思うとトンネルを抜け、清流の脇を少しだけ走行し、再び民家が多くなり始め、改良された路盤に乗り上げ快走し、ほぼ定刻の16時53分に堤川に到着した。

@途中にあったもの(人参貯蔵庫)
さて、ソウルと釜山では宿を予約してあるが、今日に関しては明日に乗車する旌善線の時間の都合で、ここ堤川に泊らなければならず、駅前にインターネット予約などできるようなホテルがないため、飛び込みの宿泊をしなければならない。調べたところ駅から歩いて20分くらいのところにホテル(6万ウォン程度)があったのだが、出発前に会社の韓国人の同僚にも事前にあれこれ訊いたりして、駅前にモーテルがたくさんあるだろうということで、ホテルの予約はせずに当日に着いてから探すことにしたのである。
モーテル自体は駅付近に山ほどあったが、あまりボロいところでは心許ない。そこで、駅前から歩いてすぐのところに、特に目立っている10階建てに近い立派なモーテルがあったので、そこに入って尋ねてみると、1人利用の場合は4万ウォンということだったので即決した。モーテルだけあって部屋の広さはビジネスホテルの4倍ほどあり、不必要なジャグジー風呂まである。しばらく横になってテレビを観てみたが、日本では下火になりつつあるプロ野球の中継の人気があるようで、3ゲームが中継中であった。

@モーテルの建物
さて、夕食を買いに行かなければならない。駅付近には市場がなかったため、適当に北北東方面に散歩を兼ねて15分ほど歩いていくと、うまい具合に商店街と市場に遭遇した。そこで、身ぶり手ぶりと簡単な数字の会話でパジョンを2枚買い、スーパーで1リットルのビールなどを買って部屋へ戻った。

@1枚1,000ウォン
■2011.5.6
薄明かりの中、朝早くから各方面への旅客列車や貨物列車が堤川駅構内を出入りしており、その音がホテルの部屋にも響いて来る。ホテルの部屋の窓(6階)からその様子も眺めることができ、眼下には、たくさんのヨインスク(韓国語では「旅人宿」と「売春宿」が同じ発音であるが、外観や雰囲気からして、後者っぽいものが多い)の建物がいくつも連なっているのが見える。
さて、今回の旅程で唯一の「ローカル線」といえる旌善線の乗車である。なんといっても、1日に2往復しか運転されていない。
7時前には宿を出て、興味本位で遠まわりしてヨインスク街を経由してから堤川駅へと向かった。7時10分出発予定のアウラジ行ムグンファ号は、ちょうど構内を移動してホームに入線する直前であった。一応ムグンファ号に分類されているが、客車は2両だけである。出発時間が迫ってきても、1両当たりの乗客は10人にも満たない。

@1日2往復しかないので、行先票もちょっと手抜き
列車は定刻に堤川を出発した。ミンドゥンサンまでは、5日前にすでに乗車している区間である。今気づいたことではないが、韓国でも意外に桜が多く、並木のようになっているところもあるが、それよりは山間にちらほらと散在しているのがよく目立っている。時期的には散り始めであるが、目には優しい景観である。
厳かな駅舎のある寧越(ヨンウォル)では、こちらに向かって写真撮影している、いわゆる「撮り鉄」1人を発見した。鉄道ファンの少ない韓国では珍しいことであるが、そもそも彼が韓国人である保障はない(日本人の可能性は大である)。
峠を過ぎ、8時31分にミンドゥンサンに到着した。ここから旌善線に分岐するが、小さな市街地を迂回するように大きく曲がってから、北方向へ進んでいく。急激に田舎になるわけではないし、それなりに民家もあるが、次第に川沿いの寂しい山間へと景色は変わっていく。山あいの奥へ奥へと進んでいるように感じられるが、沿っている川の流れは進行方向側へ下っている。
8時51分に仙坪(ソンピョン)を出発すると、今度は違う系統の河川になったのか、川の流れは手前の方に下っており、路盤も明らかに登っているようである。沿線には黒いシートの被さっている畑が多いが、これは朝鮮人参である(直射日光を避けるためにシートを被せてあり、水はけを良くするために斜面に植えられている)。
旌善(チョンソン)到着は9時ちょうどで、かなり山あいの田舎であるにもかかわらず、建設中のマンションや運動施設で溢れている。少なかった乗客がここでも降り、2両合わせた乗客は私とおばさんの2人だけになってしまった。
出発後は、車掌が「アウラジ○○?」(おそらく「アウラジまでですか?」)ということを念押しのように訊いてきたので、ネー(はい)とだけ頷いておく。路盤に沿っている川はこれまでよりも大きなものになり、水面は一面の緑色で、所々で釣りをしている人も見かけられる。
9時21分、終着のアウラジに到着した。2004年まではここから先の九切里まで運行していたが廃止になってしまい、その部分は観光用レールバイク(レール上を人力で漕いで走る乗り物)として第二の人生を歩んでいる。私が到着した時は奇しくも、団体さんがレールバイクでアウラジに到着しているところであった。

@右手にいるのが車掌とおばさん
乗客は私とおばさんだけの2人だけであるが、車掌はこの上もなく丁重に案内してくれた。九切里方面からは、次から次へとレールバイクがやって来る。私を乗せてきたムグンファ号から機関車が外され、それが一旦九切里方面に行って折り返してくるのだが、これといった警備員もほとんどいないため、レールバイクたちのすぐ脇を大きなディーゼル機関車が行ったり来たりしているのも趣深い。

@機関車のすぐ脇を漕いでいく人たち
小さな駅舎付近には、廃車を使用した大きな魚の形をした建物があり、そこは飲食スペースとなっている。何の変哲もないハンバーガーチェーンだが、食堂車のような雰囲気もあるため、私はプルコギバーガーセットを頼んで車内でそれを頂いた。その建物内だけではなく、周囲も観光客で大賑いである。

@魚電車?
その後は小さなアウラジの町内を散策していたが、急にプワンという汽笛のような音が鳴り響いた。駅に近づいて見ると、SL(の形をした観光用機関車)が先導する列車が、先ほどレールバイクでやってきた大量の観光客を乗せて出発しかかっているところであった。そして彼らの乗っている車両の後ろには、無人のレールバイクが山ほど連なっている。九切里からアウラジ方面はゆっくりとした下り坂になっているため、観光客は楽にレールバイクを漕いで降りてきて、そして戻りは機関車で一気に帰るのである。

@団体さんはこれでお戻り
彼らがそれで行ってしまうと、まさに蜘蛛の子を散らしたかのような静寂がアウラジ駅を包んだ。観光客は片手で数えられる程度になってしまい、施設側もそのパターンを承知しているためか、先ほどまで派手に水しぶきを上げていた噴水すらピタッと止まっている有り様である。折り返しまでまだまだ時間があったため、私は西側にある公園の方に行き、その先にある河川やそれに掛かっている大きな橋、仏教風の展望台などを適当に見て歩いて時間を潰した。

@名も知らぬ川(調べればすぐわかるのでしょうが)
ちなみにこの一連の観光施設では、鉄道関係としてはレールバイク以外にも、旧い車両を使用した宿泊施設もあるようであった(駅に置いてあったパンフレットによる)。そのうち泊ってみたいものである。
折り返しの堤川行は、往路よりは賑っていたが、それでも1両当たり10人程度であった。それが2往復しかないのであるから、もしかしたら近い将来に廃線という選択肢も考えられるのかもしれない。
田畑や山腹の木々を眺めつつ戻り、ミンドゥンサンで降りた。ここで1時間弱の中途半端な時間があるため、適当に町中を歩く。いくつかのモーテルと個人経営の食堂、町の規模には似つかわしくない大きなホテルがあるだけの、小ぢんまりした田舎都市である。

@駅構内で、アンジョンファン選手を久々に発見!
余った時間は駅構内で適当に過ごし、しばらくしてやって来た江陵行のムグンファ号に乗車した。あとは今日の宿泊地である釜山に行くだけである(「だけ」といってもかなり遠くて時間がかかるのであるが)。せっかくなので、今一度スイッチバックを経験してから釜山方面に行く旅程にしてある。まずはこのムグンファ号で道溪まで行き、そこで釜田(プジョン)行きのムグンファ号に乗ることによって、またあのスイッチバックを2回経験することができるのである。
今日も快晴に恵まれ、壮大な景色は充分に堪能することができた。道溪駅では、ここでも1時間弱の時間があったため、地元のスーパー(到着直前に「マトゥ」のハングルを偶然見つけていた)に行ってツマミとなるものを買ったりした。この散策での意外な収穫としては、駅南東方向に鉱山のようなものがあり、そこの急斜面にとてつもなく急角度のケーブル路盤(おそらく人間は乗れないだろう)を見つけたということである。

@とてつもない勾配のケーブル
14時22分発のムグンファ号は定刻より3分遅れてきて、14時25分に出発した。客車部分は4両だけであり、カフェカーは客車の一部分を自動販売機にしただけの「ミニカフェカー」である。これから6時間以上乗り通しであるが、先ほどのスーパーでお菓子を買っておいたのは正解であった。
嶺東線と中央線などを経由して釜田方面へ向かうのであるが、安東付近で少し景観が変わる以外はあまり変化がないため、少しウトウトとしてしまった。

@路盤が旧く蛇行するため、これから走る先のシェルターが見える
時折居眠りしながらぼんやりと外を眺めつつ、日が暮れてからはパソコンで駄文を書きつつ、終着の釜田にはほぼ定刻の21時30分に到着した。地下鉄駅まで歩いて、初めての釜山地下鉄も問題なく使い、チャガルチ付近にある安宿に潜り込んだのは22時半近く。この日はコンビニの弁当などで済ませてすぐに寝てしまった。
■2011.5.7
本来ならば今日は、朝の6時前には宿を出て、慶全線で木浦まで行き、それからKTXを「Λ」の形で乗り継いで、釜山到着は夜8時過ぎという壮大なプランを作っていた。しかし、3日の朝にソウル駅で発券してもらおうとした際に、最初の慶全線のムグンファ号が売り切れで席の確保ができなかったのである。
幸い時刻表を持ってきていたため、3日の夜に宿で再考して代替案を考えた。あまりに早朝起床が続いて疲れていたため、時間的に余裕を持たせて8時台のセマウル号で東大邱(トンデグ)へ行き(6日の最後と同じ路線になってしまうが、昨日は日が暮れて外が見えなかったため実質は初めてのようなものである)、その後はセマウル号で盲腸線の終着駅鎭海(チンヘ)へ、そして釜山へ戻る旅程である。夕方も17時前には戻ってこられるため、体力的にも余裕があるし、お土産などを考える時間もある。チャガルチ市場も覗き見くらいはできるだろう。
7時半頃に宿を出て、地下鉄で釜田へと向かった。意外にスムーズに移動ができて8時前には着いてしまったため、駅の目の前にある大きな市場を散策した。ほとんどが鮮魚などの店であったが、パジョンや海鮮のてんぷらなどを売っている店があったため、そこで朝食用にいくつか買っておいた。

@買いすぎ(朝食としては脂っぽすぎた)
改札付近で観光スタンプを押してから、出発15分前にホームへと降りていった。セマウル号の隣りでは、青い制服を着た女性の乗務員が恭しく礼をして迎えてくれている。
定刻の8時40分に出発し、しばらくは街中をゆっくりと走っていった。高架の路盤が所々で建設中であり、じきにあちらに移るのであろう。
9時を過ぎたあたりで、右手に大きく海が広がり始める(昨日は暗かったため、このような風景であることがわからなかった)。険しい断崖もあり、海が見える景色は松亭(ソンジョン)まで続いていく。

@晴れていればなかなかの景色だろう
その後はしばらく田畑と住宅が続くが、月内(ウォルネ)を過ぎた9時25分ころ、右手には大きな工場のようなものが現れてくる。これは今話題(という表現も何だが)の、原子力発電所である。日本の場合、国道や鉄道からは発電所自体は見えない構造になっているが(丘や土手などで遮蔽している)、ここにある古里原子力発電所は、少し見切れている程度どころではなく、100%丸見えである。丸見えどころか、建屋の横に「KORI Nuclear Power Plant」と看板まで出している。しかもすぐ傍には民家も多数あり、これは日本での認識とは大きく違うと思われるところである。隣接する敷地には建設中の原子力発電所もあり、それもすべて丸見えであった。

@これが原子力発電所
大規模工場の高い煙突が山ほど現れると太和江(テファガン)で、停車時間は短く9時57分に出発した。その後、10時35分には古都である慶州(キョンジュ)を出発、終着の東大邱には11時40分に到着した。
さて、1時間弱ほど時間があるが、特にすることもない。小銭を用意し航空会社の釜山支店に電話をし、空席待ちが取れたかどうかの確認をしたが、やはり取れていなかった。思えば、海外で公衆電話を使ったのは初めての経験である。
駅構内をぶらぶらしていると、駅弁を売っているコーナーを発見した。ソウル駅にあったのと同じ系列のチェーンであるが、これまでムグンファ号内で弁当を買ったきりであり、駅で弁当を買うという行為はまだしていない。ぜひ買いたいところであるが、今朝食べたパジョンのボリュームがかなりあったため、正直なところお腹はちっとも減っていない。韓国食材がたくさん詰まっている焼き肉風の弁当(7,000ウォン)にかなり惹かれたが、それに手を伸ばす気力もなく、かといって買わないのも寂しいため、間を取って3,500ウォンの海苔巻きを買うことにした。

@海苔巻き弁当
ホームに降りて鎭海行のセマウル号を待っていたが、すぐ隣りの大邱始発であるのに遅れているようである。おそらく、京釜線はKTXも含めて多数の列車が走っているため、前後の関係で遅延が出やすいのだろう。
7分ほど遅れてきたセマウル号に乗り込み、座席で海苔巻きをいただく。それからは、ここ数日の疲労も祟ってしばらく寝てしまい、慶全線への分岐には気づかず、目が覚めると昌原(チャンウォン)の近くであった。13時54分には昌原に到着し、盲腸線であり1日に4往復しか走っていない鎭海線へと分岐していった。
鎭海線沿線は大工業地帯であり、様々な工場が連なっている。新昌原(シンチャンウォン)のすぐ近くにはヒュンダイ・ロテムの大きな工場もあり、製造中の車両がたくさん並べられており、倉庫の近くにはKTX山川もあった。

@ヒュンダイ・ロテムの工場
終着の鎭海は、小ぢんまりした駅舎であった。この先にもスイッチバックをして路線が伸びているが、軍事用であり一般客は行くことができないそうである。折り返し列車の出発まで1時間ほどあったため、街中を歩き、ロータリーにある釈迦誕生日用の装飾などを適当に眺めた。

@釈迦誕生日の準備は万端
駅へ戻ってからは15時発のセマウル号に乗り込み、密陽(ミリャン)でKTXに乗り換えて、釜山到着は16時45分であった。
釜山駅の売店では、KTXがデザインされたエコバッグを買った。これからチャガルチに行って、お土産などを適当に買ってこれで持ち帰る予定である。
長い長い韓国旅行、最後の晩餐は、チャガルチで買った焼き魚などである。明日は、朝一番のバスに乗って空港へ行かなければならない。

@美味でした
【以下もご覧ください】


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