■はじめに
今回のプチ移住は、広島県広島市である。広島県内の主な観光地は凡そ訪問しているとは思うが、再訪することも含めて、これまで訪問したことがないマイナーな所にも訪れるようにしてみたいと思う。
移動日を除くと8日間あるため、最初の2日間は「広島たびパス」を使って広島市内をあれこれ観光して、残りの6日間は、3日間有効の「広島ワイドパス」を2回使って県内を観光することにした。
往復の移動は、ANAの特典航空券である。ホテルについては、廿日市駅付近にあるホテル(部屋の中にキッチンがある)を9泊押さえておいた。
■2025.10.14
9時半頃に家を出て、羽田空港に向かった。
往路の便は、12時10分発の岩国行である。広島空港は政治的背景があって広島市からは不便な場所に建設されたため(政治家の影響という噂)、広島市に行く場合は、岩国空港の方が何かと便利なのである(今回の宿が、広島駅より西側にあるのも大きい)。

@岩国行に搭乗
定刻より少し遅れた13時55分、岩国空港に到着した。この空港は米軍基地を間借りしているため、戦闘機が駐機しているのが見える。
岩国空港は何度か利用したことがあるが、駅からそれほど遠くないため、いつも歩いてアクセスしていた。今回はプチ移住用の大きなスーツケースがあるため、初めてバスで移動することにしている。

@路線バス
バスでJRの岩国駅まで移動して、そこからはJRに乗って廿日市まで移動してきた。予約してあるホテルは、ここから歩いて20分くらいである。
自動チェックイン機で鍵を受け取り、部屋に入った。小奇麗な部屋であり、何よりキッチンだけでなくレンジなどもすべて部屋の中にある。これはもう、「自炊し放題」である(しかもコンロは、電気ではなくてガスである)。

@すべて揃っている
これまでもキッチンがある宿を選んできたが、共同であることが多く、何度も部屋と往復するのが億劫であった。これなら、「少し温めなおす」なども気楽にできる。
荷物を整理してから、外に出た。夕食材の買い物の前に、広電の楽々園駅窓口に向かった。というのも、翌日から使用する「広島たびパス」を買うためである。

@無事購入
このパスはスマホで使えるデジタル版もあるが、この手の切符のデジタル版の場合、「下車する直前にスマホを開いたらログアウトしていて、慌ててログインし直す」ようなこともあるため、紙版がある場合はそちらを使うことにしている。
続いては、夕食材の入手である。駅の近くにスーパーと地場産の品を売る店があったので、ツマミ用として広島産の水イカやアスパラガス、そしてプチ移住シリーズで恒例(?)となっている卵を買い揃えた。

@広島シリーズ
締めについては、米を持ってきているため何かおかずになるものを買おうと思っていたが、広島っぽい焼きそばがあったため、そちらにすることにした(ついでに、鶏肉ともやしも広島産で無理やり揃えてみた)。

@広島シリーズその2
■2025.10.15
今日からは、昨夕に購入した「広島たびパス」を使っての観光である。
7時過ぎに宿を出て、最寄駅である山陽女学園前駅にやって来た。鉄旅であるから、まずは広島電鉄での移動である。

@広電から開始
7時半頃にやって来た路面電車に乗り、辿り着いたのは広電宮島口である。マイナーな観光地を巡る予定であるが、広島まで来て宮島を素通りするのも何なので、とりあえず再訪である(もう何度来たか分からないが)。
たびパスで宮島フェリーも乗ることができるが、訪問税(100円)だけは別途支払う必要がある。

@税金だけ払う
8時頃に出港し、宮島までは10分の航路である。上述した通りここは何度も訪問しているが、とりあえず鳥居を見て、今日はその奥にある大願寺まで歩いて行ってみた。
何度も来ている場所であるが、今日はちょうど引き潮であり、鳥居の足元すぐのところまで歩けたのは初体験であった。

@引き潮
桟橋に戻り、フェリーに乗って対岸へ。広島駅行の広電に乗り込み、井口で下車した。
ここから数分歩き、オタフクソースの工場のすぐ横にあるのが「WoodEggお好み焼館」である。広島と言えばお好み焼き(そしてオタフクソース)ということで、ここでお好み焼きの歴史の勉強である。

@色々と展示あり
私は展示スペースを見ただけであるが、この施設では体験イベントなどもやっているので、家族連れなどはそういうのを経験するのも良いかもしれない。
施設を後にして、オタフクの工場の外観を見てから、次のアクションはバスに乗ることである(広島たびパスでは、路線バスにも乗車することができる)。

@次は路線バス
10時11分発の25番系統に乗り、市内中心部にある本通りバス停まで移動した。しばしアーケード街で時間を潰してから、3番系統に乗って観音マリーナまでやって来た。
と言っても、観音マリーナに来たくてここまで移動したのではない。この付近は、今から15年くらい前までは「広島西空港」として、短距離路線を担っていたのである。
何か空港の名残はないかと思って歩いて見たが、ヘリポートとして使われている部分くらいしか残っていなかった。

@これくらい
この空港については、閉鎖される少し前に宮崎へ行く路線で使ったことがある。その時の写真でも紹介しようかと思ったが、データのファイル整理が上手くできていないようで、見付けることができなかった。
(代替として、道路向かいにあった三菱重工の「遠心圧縮機」の写真でも紹介しておきたい)

@遠心圧縮機
そのまま30分ほど歩き続け、大きな橋を渡り、小高い山の上までやって来た。ここにあるのが、江波山気象館である。何を隠そう、これは「被爆建物」(原爆の投下による爆撃被害を受けた建物)である。

@気象館
100円を支払い、館内へ。鉄道関係の展示はもちろんないが、一通り見学して周った。
山の下に降りて近場のバス停に向かい、そこから中心部に向かって八丁堀バス停で下車し、12番系統に乗り換えて東区スポーツセンター入口で下車した。そこからしばらく歩いたところにあるのが、水道資料館という地味な施設である。実は、これも被爆建物である。

@水道資料館
建屋に入り、一通り見学した(ここは無料)。もちろん、鉄道関係の資料は皆無である。
バスに乗って八丁堀まで戻り、再度アーケードを散策して時間調整をしてから別系統のバスに乗って、三滝観音バス停までやって来た。目的は、もちろん三瀧寺である。バス停から坂道を10分ほど歩くと、辿り着いた。

@三瀧寺へ向かう道
参拝してから納経帳に御朱印を頂いてから、寺を後にした。地味な観光地であるため、すれ違ったのは数組だけであったが、すべて西洋人であったのが昨今のインバウンド事情であろう。
バスの本数が少ないため(1時間に1本しかない)、歩いてJR横川駅まで行き、そこからは広電を乗り継いで宿に戻ることにした。

@最後も広電で
通勤ラッシュで込み合う路面電車で移動して、楽々園で下車した。というのも、昨日と同じ店で買い物をするためである。
昨日見付けて気になっていたのが、「広島産ジビエ」である。鹿か猪か迷ったが、ガツンと味が分かる猪にしてみた(200グラムで1,600円以上もするが)。追加で、広島産のサワラと、ご飯用にカキフライを買ってみた(カキ自体は岡山産であったが)。

@今日の一式
なお三瀧寺で御朱印を頂いた際に、小さな袋をもらった。これにはお米が入っているということで、「ご飯を炊く際にどうぞ」ということであった。この手のものは「実際に使ってみてナンボ」と思っているため、早速今晩のご飯に入れてレンジで炊いてみた。

@お米付き
■2025.10.16
今日も広電から始めるが、最寄りの電停(山陽女学園前)から乗ったのでは、ラッシュで席に座れない。そこで、どうせ時間はあるため、宮島口まで乗ってそこから始発に乗車することにした。こうすれば、最前部の「かぶりつき」座席が確保できる。
ということで、広電宮島口まで移動してきた。

@これに乗る
ひたすら乗り続け市内中心部に入り、紙屋町で乗り換えて、宇品二丁目で下車した。そこから歩いて数分の所にあるのが、郷土資料館である。
この建物も、実は被爆建物である。昨日からこの被爆建物が連続しているが、それほど数が多いわけではなく、探して訪問する必要がある。

@今日もまた被爆建物から
郷土資料館という名称から、何か広電関係で鉄道の資料があるかと期待していたが、結果的には何もなかった。
電停の停留所に戻り、少しだけ路面電車に乗って北上して皆実町六丁目で下車し、少し歩いて辿り着いたのが旧広島陸軍被服支廠である。これも被爆建物で…と紹介しようとしたが、なんと修復作業で全体が覆われてしまっていた。これでは外観が掴めないが、なぜか防護壁の内側にいた猫と共に紹介しておきたい。

@なぜか猫も
そこから更に北側へ歩いて、広島大学病院の敷地内に入ってすぐの場所にあるのが、YHRPミュージアムである。大学病院内にある美術館という、非常に珍しい形態で運営されており、無料で観ることができる施設である。

@ミュージアム
館内にある美術品を見てから、再度北上を続けた。続けての見どころは、国鉄宇品線の跡である。
宇品線は1986年に廃止されており(旅客は1972年に廃止)、その形跡はほとんど残っていない。よって、目的としていた場所にあるのも、小さな記念碑だけである。

@宇品線跡
さらに北上を続け、辿り着いたのは比治山スカイウォークである。これは長大なエスカレーターであり、比治山の頂上付近まで行くことができる。
私は今から25年くらい前、西宮市にある大学院に在学していたのだが、出張のあるバイトで良く広島に来ていた。アポ先の1つが比治山の上にあり、当時は歩いて登るのがしんどかった思い出があるが、今はこのようなエスカレーターもあるし、バス(めいぷる~ぷ)もある。

@スカイウォーク
頂上付近には現代美術館があるが、私は現代美術には疎いため、その近くにある「まんが図書館」で休憩を兼ねて時間を潰した。昔の漫画が大量にあり、私の近所にもぜひ欲しい施設である。
その後は、先述した「めいぷる~ぷ」に乗って(バス車内はインバウンド客ばかり)、広島駅方面に向かった。

@たびパスで乗車できる
新幹線口で下車して、次に向かったのは「イズミ史料館」である。イズミと言ってもピンと来ない人でも、「you meタウン」と言えば、中国地方と北部九州地方の人は「あれか」と分かるに違いない(この地域で有名な大規模小売店舗である)。
本社建屋の2階に上がり、史料館を見学した。

@歴史の展示
見学を終えて広島駅に戻ったが、この時点でまだ13時半前である(さくさくと進み過ぎてしまった)。まだ帰るのには早いため、先ほど少しだけ触れた宇品線関係を、もう少し深追いすることにした。
広島駅の電停であるが、これまでは迂回する部分で大分時間を消費していたが、JR駅に直接乗り入れる高架がつい2か月前に開通しており、雰囲気が大きく変わっている。

@ホーム数も増えた
比治山経由の系統に乗り、県病院前(午前に降りた宇品二丁目の隣り)で下車した。ここからしばらく東の方へ歩いて行くと見えて来るのが、宇品線の丹那駅跡である。
ただし先述した通り、宇品線の名残となるようなレールなどは残っていない。路盤跡だけは、なんとなく土手のように残っている。

@丹那駅跡
そこからは、廃線跡に沿って南下して行った。路盤跡は、家庭菜園やパターゴルフ場として再利用されていた。
下丹那駅跡を過ぎ(ここも説明版があるだけ)、カーブに沿って歩き続けると、終点の宇品駅跡である。駅自体は残っていないが、駅の横にあったレンガ倉庫が一部残っているため、そこが駅跡だと分かるようになっている。

@宇品駅跡
なお鉄道関係の資料としては、ここから南下した宇品波止場公園に、宇品線で使われていた分岐器などが展示されている。鉄的な方が訪問される場合は、こちらも見逃さないようにされた方がいいであろう。

@宇品線の名残
海岸通電停まで歩いて行き、本通りで一旦下車して買い物をしてから、広電に乗ってホテルに戻った。
さて、夕食である。昨日までに買ってあるものの残りがまだあるが、追加で買ってきたのは、広島名物の「がんす」(魚の練り物を揚げたもの)と広島の小魚を使ったスナックである。ご飯のお供としては、これぞ広島名物、三島食品のふりかけである。「ゆかり」は全国区でどこでも買えるが、数多ある選択肢から選んだのは、「ひろし」(広島菜を使っている)と「しげき」(わさびを使っている)である。

@ザ・広島



コメント