■はじめに
鹿児島県鹿児島市でのプチ移住であるが、7日目は枕崎や加世田への観光、8日目は垂水や鹿屋への観光、9日目は宮之城や大口への観光である。
私は別のテーマで「鉄道のない町へ」として、これまでに宮城県登米市や静岡県御前崎市などを旅行記に仕上げている。これからの3日間はそのテーマに該当する町に行くため、多少タイトルが長くなるが併用することにした。なおいずれの町も、「以前には鉄道があった」町である。
■2025.12.15
これから3日間で使用する切符は、「SUNQパス」の南部九州版である。鹿児島・熊本・宮崎のバスが乗り放題であり、紙の切符の場合は10,000円であるが、デジタルであれば8,500円である。紙のものは以前に何度か使ったことがあるが、デジタル版は導入後初めての使用である。

@初使用
8時半過ぎに部屋を出て、毎度おなじみになってきた金生町バス停にやって来た。これから乗るのは、8時49分発の枕崎行の特急バスである。しばらくしてバスがやって来たが、長距離を走るため、路線バス形式ではない観光バス形式の座席であった。

@長距離特急バス
定刻に出発。鹿児島中央駅などで乗客が増えたが、それでも総数は6人程度であった。
枕崎は何度か行ったことがあるが、JR利用だと指宿経由で大きく迂回するため、かなり遠いイメージがある。しかし今日は、バスであるから直行である。鹿児島市内を抜けると、枕崎方面を目指して峠区間に入って行った。

@桜島を拝む
そのまま枕崎までは行かずに、途中の広瀬橋バス停で下車した。そこから数分歩いて辿り着いたのが、南薩摩鉄道知覧線の跡である。堤防のような路盤跡が残っており、その下を人が通れるような小さなトンネルが残っている。

@廃線跡
グーグルマップで「駅跡」と検索するとこの近くにいくつかあるが、知覧線の廃止は1965年とかなり前であるため、何も残っていない。よって、もう枕崎に行くことにした。
街中を歩いて「川辺支所前」バス停を探すが、これが見当たらない(グーグル先生も教えてくれない)。支所前にあるバス停は、地域バス専用である。もう時間がないため、支所に入って職員に聞いたが、鹿児島交通のバス停は知らないという(笑)。地元の人は、バスなど使わないのであろう。
職員がネットを駆使してあれこれ必死に探してくれて、肉屋の前にバス停があることを教えてくれた。

@やっと発見
支所から100メートルくらい離れているし、同じ場所にある地域バスのバス停は違う名前であるし、ここを通る鹿児島交通は1日に2本しかないから、役所の職員が知らないのも無理はないのかもしれない。
11時12分発のバスに無事に乗り込み、枕崎には11時50分に到着した。

@無事に到着
ここで1時間半以上時間があるため、普通に観光である。取り急ぎ焼酎蔵へ行ってみた。見学を終えて売店に行くと「お車ですか」と聞かれたのでそうでない旨を伝えると、試飲を勧められた。いくつか試して、新酒なるものを買ってみた。持ち歩くのは少し重いが、滞在中に飲んでしまえばいい。

@酒蔵
その後はお魚センターへ行ったりしてから、バスターミナルまで歩いて戻った。
せっかくであるから、すぐ近くにあるJRの駅にも行ってみた。過去に何度か来たことがあるが、ちょうど列車が到着している時間帯であった。

@枕崎駅
小奇麗に整備されているが、鹿児島交通枕崎線があった頃はこの場所よりも少し先に駅があり、鹿児島交通とは同じホームにて対面で乗り換えができたのである。枕崎線は1984年に廃止されており、私が初めて行ったとき(1997年)には乗り換えはもう不可能であったが、古いホームはまだそのままであった。

@1997年当時(車両は変わらず)
まだ時間があったので、目の前にあったスーパーに入ってみた。つまみについては昨日まで買ってある鶏や卵があるから不要であり、ご飯のお供だけが必要である。しかし鮮魚売り場にて、枕崎産のナガラメ(トコブシのこと)が半額で売っていたので、つい買ってしまった。つまみにしかならないが、逃すわけにはいかない。
ご飯のお供は、枕崎製造のカツオの唐揚げにした。

@食材
バスターミナルに移動して、13時35分発のバスに乗り込んだ。定刻に出発して、14時18分に到着した加世田(かせだ)で下車した。

@ロータリーには機関車が
ここには以前来たことがあり、隣接する鉄道資料館も訪問済みである。なぜ再訪したのかというと、バスの車庫にも鉄道車両があることを前回は知らなかったためである。
お目当ての車両はあったが、敷地内であるため勝手に入る訳にはいかない。誰か人がいれば「すみませ~ん」と声を掛けるが、誰もいない。仕方なく、横の敷地から盗撮のようにして撮るだけであった。

@シャッター邪魔
当初予定では、鹿児島交通枕崎線に沿って伊集院までバスに乗り、そこから鹿児島に戻ることにしていたが、そうしたところで特に見る物もないため、加世田から鹿児島への直行バスで帰ることにした。
バスは16時00分発であるため、適当に市内を散策してから、うっかりまたスーパーに入ってしまった。もう追加で買う余力はないが、カツオの腹が安かったので、明日以降用として買ってしまった。

@明日以降に
バスターミナルに戻り、16時00分発の鹿児島行の準急バスに乗り込んだ。長距離を走るため、観光バス形式のシートである。
定刻に出発したが、伊作(いざく)バス停は伊作駅跡であった。予定変更したことにより、予想外に鉄道ネタを拾うことができた。

@伊作駅跡
急坂の多い峠を越えて鹿児島市内に入り、定刻より20分ほど遅れた17時40分頃に金生町に到着した。
ホテルに戻り、夕食の準備である。ナガラメを甘辛く煮て、親鳥を塩胡椒で炒めれば、鹿児島芋焼酎のアテとしては最高の品であろう。

@一献
■2025.12.16
今日もおなじみ、金生町バス停からの開始である。8時半少し前に部屋を出て、歩き慣れたルートを通ってバス停に到着した。
やって来たバスは今日も観光バスタイプの座席であるが、「直行」と書いてあるのがミソである。

@直行バス
というのも、この路線バスはフェリーに直接乗り入れて鹿屋に直行するのである。フェリーに乗る手続きが必要ないし、フェリー代(片道550円)も不要なのである。
8時43分に金生町バス停を出発して、鹿児島中央駅で乗客が増えて11人となり、鴨池港に向かった。
バスはしばらく待機場で待ち、それからフェリー内に進んで行った。

@そのまま乗り入れ
バスの乗客は航行中は船内に移動できるため、整理カード(乗客確認用)をもらってバスを下車して船内の客室に向かった。
9時20分、フェリーが出港した。左手には、雄大な桜島が見え続けている。

@雄大
垂水港に着岸し、10時少し過ぎに出発した。海際を走り続けるが、左手には大隅線(1987年廃止)の高架跡を見ることもできた。
終点の鹿屋までは行かず、その手前の航空隊前バス停で下車した。歩いて数分の場所にあるのが、海上自衛隊の鹿屋航空基地史料館である。大きな建屋には様々な資料や実物の展示があるが、メインはやはり復元されたゼロ戦であろうか。

@復元機
特攻隊関連の展示は撮影不可であるが、この手の展示はやはり見るに忍びないため、足早に見学した。
屋外には、大量の実機が展示されている。一番目立つのは、道路向かいにある「二式大型飛行艇」であろうか。昭和15年に初飛行したものということで、世界中で唯一残されている実機であるという。

@大きい
史料館を後にして、30分ほど歩いて辿り着いたのが鹿屋市鉄道記念館である(大隅線の鹿屋駅跡)。ここはだいぶ前に訪問済みであるが、無料で入れる資料館であり、大量の鉄道関係物品などが展示されている。記念スタンプもあり、ビデオ上映も行われている。

@展示例
屋外には、各駅の駅名標や古い気動車(キハ20系)が展示されている。車内に入れるようになっており、関連図書が置いてあるスペースとして活用されていた。

@屋外展示
記念館の目の前にある市役所前バス停に移動して、11時59分発の小さい路線バスに乗り込んだ。20分ほど乗車して坂元バス停で下車して3分ほど歩いて辿り着いたのが、吾平鉄道記念公園である。ここも大隅線の駅跡であり、キハ20系や車掌車が展示されている。かなり塗装も古くなっており、保存というより放置という感じでもあるが。

@保存車両
キハ20系の窓は数枚割られており、不審者通報を依頼する警察の掲示が貼ってあった。それの期日を見ると、なんと令和7年12月15日、つまり昨日である。割られたばかりなのであろう。
バス停に戻り、12時37分発のバスに乗り込んで鹿屋へ移動した。鹿屋からは13時30分発の垂水行の路線バスに乗り、終点で下車した。しばし歩いて到着したのが、垂水鉄道記念公園である。

@記念公園
ここは言うまでもなく、大隅線の垂水駅があった場所である。車両は残っていないが、ホーム跡が少しだけ残っていた。
公園を見た後は、廃線跡を歩いてスーパーへ向かった。つまみに関しては昨日買ったカツオなどがまだ残っているため、メインを買うのみである。鹿児島に来てまだ牛肉を食べていなかったのを思い出し、九州産の牛肉を買ってみた。今日は、すき焼き決定である。

@カレーは明日以降に
復路の直行バスについては、垂水港バス停から乗ることにしている。そこまで歩いて30分ほどであるため、再度廃線跡を歩き始めた。
廃線跡に関する説明や鉄道の名残でもないかと思って探していたが、整備された廃線跡が終わる頃にやっと説明版と遭遇した。

@ここは廃線跡です
ターミナルまで移動して15時50分発のバスに乗り、バスはすぐにフェリーに乗り込んで対岸に移動して、17時11分に到着した終着の金生町バス停で下車した。
■2025.12.17
ほとんど毎日、金生町バス停から旅を開始している。今日のバスも金生町を通るが、初めて使うJRバスであり始発が鹿児島駅であるため、最前席を確保するため駅まで歩いて行った。

@初JRバス
8時55分、宮之城行のバスが鹿児島駅を出発した。金生町や天文館や鹿児島中央駅を経由して乗客は増えたが、ほとんどは鹿児島市内で降りてしまい、宮之城方面まで向かったのは4人程度であった。
10時39分、宮之城に到着した。ここは宮之城線(1987年廃止)の宮之城駅があったところである。

@駅跡
バスターミナルとなっている建物では物産販売もしており、またスペースの一角は鉄道資料館的な展示となっている。だいぶ前に訪問済みであるが、今回も見ておくことにした。

@鉄道関係資料
時間に余裕があるため、町内にある物産館などを適当に歩いて訪問した。スーパーに入ってみると阿久根産のキビナゴがあり、「そういえば鹿児島に来ているのにまだキビナゴを食べてない」と気付いたので、夜用に買っておくことにした。
続いて乗るのは、大口行の路線バスである。南国交通の宮之城バス停はJRバスとは違う場所にある(車庫がある)ため、そちらに向かった。

@右側に乗る
始発から乗る人は珍しいということで運転手が話し掛けてきたので、宮之城線跡を巡っていることを話したりした。
12時30分に宮之城を出発し、町内を経由して旧駅跡も経由し、大口方面へ進んで行った。
終点までは行かず、13時20分に到着した西太良駅で下車した。バス停名にある通り、ここから歩いて数分の場所にあるのが宮之城線の西太良駅跡である。

@ここも駅跡
駅跡には石碑や車軸などが置いてあり、その前にある道が廃線跡である。
午前の晴天はいずこへ、大粒の雨が降り出した中、廃線跡を歩き始めた。車道にしては道幅が狭く、両側が切り立っている所謂「切り通し」であるため、いかにも廃線跡である。

@廃線跡
川を渡る部分は廃線跡がない(橋がない)ため国道を歩き、ひたすら北上して行って、次に辿り着いたのは羽月駅跡である。石碑や車軸など、置いてあるものは西太良駅跡と同じであった。

@もちろん駅跡
撮影をしてからはひたすら歩き、50分ほどして辿り着いたのが薩摩大口駅跡である。ここは宮之城線だけでなく山野線(1988年廃止)も接続していた交通の要所であったが、いずれも廃止されているため、今は残り香くらいしか感じることができない。

@これくらい(晴れてきた)
バス乗り場の近くには鉄道資料館があったのだが、建物自体が大改修中で今回は入ることができなかった。
さて、後は戻るだけである。当初は往路と同じルートを考えていたが、そうすると鹿児島市内に戻るのが19時前になってしまう(日が暮れてしまう)。そこで今朝、ふと「空港バスを使えばいいや」という考えに至った。大口から連絡バスで空港へ向かい、そこから多発する連絡バスで市内に戻れば、17時半くらいには帰ることができる。
大口からの空港連絡の特急バスは、路線バスの車両であった。

@普通のバス
15時30分に出発したが、空港まで乗っていたのは私を含めても2人だけであった。空港からは、逆に超満員の連絡バスに乗って鹿児島市内に戻ってきた。
部屋に戻る前にスーパーに寄ってみると、高級魚であるアラカブ(カサゴのこと)が半額になっていたので、宮之城で買っておいたキビナゴと一緒に今日のつまみにすることにした。

@最後の夜は魚尽くし
■2025.12.18
今日は、昼の便で戻るだけである。時間に余裕があるため、鹿児島市内を適当に散策してド定番の観光要素を見て回ってから出発した。
鹿児島は大きいため、10日弱の滞在では、佐多方面や離島など訪問できていない地域がかなり残っている。次回は、鹿屋辺りに陣取っても面白いかもしれない。
次回のプチ移住は、ほとんど間を置かず、12月24日から31日まで、高知県高知市の予定である。

@ド定番観光要素
【以下もご覧ください】


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