■はじめに
鉄道が廃止されたことにより「ご無沙汰」となった終着駅に訪問するこのシリーズであるが、3回目の今回は、留萌本線の留萌と増毛を訪問したい。
留萌本線は函館本線の深川から増毛まで運行されていた路線であり、その開通は1910年とかなり早い(留萌から増毛までは1921年開通)。国鉄民営化時点ではなんとか生き残ったが、2016年に留萌より先が廃止となり、2023年には石狩沼田から留萌までが廃止となってしまった。今となっては深川から石狩沼田までの、たった14.4キロの短小盲腸路線である。そしてこの短く生き残った部分も、来年(2026年)4月に廃止になってしまう予定である。
今回訪問する駅は、鉄道があれば、フリー切符などを使っているときに「ちょっと行ってみるか」となるが、今となっては、意図的に訪問しないとならない。ということで、今回は増毛駅と留萌駅に行ってみることにした。
■2025.4.19
今回の移動もJALの格安航空券であり、旭川まで片道たったの6,970円である。往路は土曜でも同じ値段であったので土曜日にして、復路は月曜日にした。無職であるため、曜日は選び放題である。
7時45分発の便で羽田から旭川まで移動して、空港連絡バスで旭川駅まで移動した。10時30分頃に到着したが、留萌行のバスは10時20分に出発したばかりであるため、次は13時00分発である。よって、しばし駅付近を散策である。
とりあえず駅へ。料金案内図の留萌本線は、もちろん石狩沼田までになっている。

@もはや「本線」とは言えない長さ
駅隣接のショッピングセンターを見て回っても2時間以上の時間は潰せないので、駅前の買物公園を最後まで歩き、その後は駅構内にある机でPCをつついて過ごした。
(というのも、4月とは思えない寒さなのである。8度と表示されているが、それよりも寒く感じる)
13時前にバス乗り場へ。しばらくして、留萌行の沿岸バスがやって来た。

@留萌行
このバスは深川を経由して留萌まで行くが、留萌本線の石狩沼田以降が廃止になる前からあったバス路線であり、代替バスという訳ではない。よって、石狩沼田も経由しない。しかし、実質的な代替手段は、このバスしかないのが現実である。
定刻に旭川を出発。車内は10人くらいの乗客である。
深川十字街バス停を出発すると、そこから先は実質的な「留萌までの代替交通手段」である。

@沿線に貨車を利用した倉庫発見
鉄道の路盤からは少し離れていた国道233号線であるが、峠部分が近づくと路盤に近づいて行った。右手には、廃線跡がちらほら見えている(左側に陣取っていたので、それらは明日写真を撮ろうと思う)。
峠部分は、まだ雪が残っていた。道路案内には、駅名もまだ残っている。

@手振れ写真
上りの旭川行のバスと行き違い、バスは快走していった。左手には、2020年に全通した深川留萌自動車道が見えている。元々乗客が漸減していた留萌本線であるが、あれの完成が息の根を止めたと言っても過言ではないであろう。

@住民は便利になりましたが
バス停の名には「跨線橋」なんてのもあり(鉄道の路線を跨ぐ橋のこと)、命名に困るほど人が住んでいないことが伺われる。
峠を降りると、田んぼが多くなってきた。あちらこちらに、白鳥の群れが屯している。廃線跡も、いつの間にか左側になっていた。

@もう鉄道は走りません
曇り空であったが、雨粒が少しだけ落ちてきた。
留萌市内に入ると各バス停でちらほらと降りる客もいて、15時01分に到着した留萌駅前バス停で下車した。

@萌えっ子がお出迎え(留萌だけに)
久々に留萌に来たので(と言っても2年前に来たばかりであるが)、駅跡に行ってみた。しかし、駅名なども外されてしまい、すでにもう廃墟手前である。この感じだともう再利用はされず、取り壊されそうな感じである。

@見納め?
結局駅には何もないため、しばし歩いて道の駅へ向かった。というのも、この新しい道の駅には、旧駅舎で営業していた蕎麦屋が移転しており、また留萌本線に関する展示物もあるためである。

@展示物
まだ15時台であるが、いい加減寒いので(旭川より風が強いため、余計に寒い)、ホテルに行ってしまうことにした。
その前に、廃線跡の確認である。道の駅の近くにトラス橋があるが、これは留萌本線の遺構である(ただし、写真手前側は、留萌港へ繋がっていた貨物線のものであるが)。

@廃線跡
早々にホテルにチェックイン。しばしテレビを見たりしてからスーパーに買い物へ行き、安食材で一献してから就寝した。
■2025.4.20
いつもは朝食を付けないが、今回のホテルは数百円をプラスすれば朝食を付けられるし、しかも朝から刺身があるというので、珍しく朝食付プランにしてある。よって、開始時刻に朝食会場にまっしぐらである。

@朝からお刺身(イクラも有り)
朝から豪華に海鮮を頂き、自室に戻った。
本来の予定では、今朝は礼受駅くらいまで歩こうと思っていたが、昨日よりさらに寒い+強風+雨ということで、それは諦めて9時半くらいまで自室で過ごした。
今日はまずバスで増毛に向かうが、ホテルに近いバス停ではなくて、留萌駅前まで歩いて行くことにした。町中散策を兼ねて。

@色々撮影しながら
初めて留萌に泊まったのは1998年であるが、その時に利用したライダーズハウスもまだ健在であった。
駅前バス停まで行き、9時50分発の大別苅行(増毛経由)がやって来た。通常の路線バスタイプの車両である。

@今日はこれから
留萌から増毛までのバスは1日に9往復あるようだが、バスの車内は私を含めても2人だけであった。市内の停留所でちらほら増えたが、それでも6人だけである。
しばらくすると、左手には廃線跡が沿うようになった。レールが残っている部分も多い。

@橋も残っている
増毛の町中に入り、ちらほらと乗客が降りて行き、最終的には私1人だけになり、10時24分に到着した旧増毛駅バス停で下車した。
駅前には改築された旧駅が残っているが、物販店のテナントが入っており、留萌本線に関する展示もある。

@展示物
売店はすでに開店しており、「たこめし」なんてものがあり惹かれるが、今日は朝から食べ過ぎであるため残念ながらスルーである。
到着時は大雨になっていたが、少し雨も弱くなってきたので、外の撮影も始めた。ホームとレールは残っているが、もちろんもう利用されることはない。

@残されたホームとレール
増毛に来たことは何回かあるが、一番よく覚えているのは2004年の9月である。というのも、なんと観光用SLが増毛まで来ていたのである。今や観光列車どころか普通の鉄道も通じておらず、ここに来ようと思ったらバスを乗り継いで来ないといけない状況である。

@こんな時代もありました(増毛駅)
今日はすぐには折り返さないため、時間が2時間以上ある。よって、しばし観光である。
増毛で一番有名な観光地とも言える国稀酒造は、観光客で賑わっていた。もちろん、すべて車で来ている人たちである。
酒造までは以前にも行ったことがあるが、今日は時間もあるため、その先にある台場(砲台を置いてあった場所)跡まで行ってみた。

@晴れてきた
駅近くまで戻り、小高い丘の上にあった灯台まで行き(ここも台場跡)、駅の裏手に海産物の直売所があったのでそこでホッケフライ(2つで180円)を夜用に買ったりして時間を潰した。
戻りのバスは、12時35分発である。バス停で待っていると、大別苅からバスがやって来た。

@萌えっ子バス停
復路は、左手に海、右手に廃線跡を見ながら走り続けた。雨も上がったので、少し手前で降りて廃線跡を探索しようと思ったが、留萌に近づくにつれてまた雨が降ってきてしまった。よって、そのまま留萌駅前まで乗り通してしまった。
駅前市場を見学し(大量の魚が安かったが、買って帰ることもできず)、それから観光案内所に行ってみた。スタンプがあったので押してみると、なんと「さようなら留萌本線」のスタンプであった。

@観光案内所
バスの始発地点である留萌十字街まで歩き、そこから14時05分発の旭川行に乗り込んだ。車内の乗客はたったの4人だけであり、そのうち2人は留萌市内で降りてしまったため、2人だけになってしまった。
バスには電源コンセントがあるため、鉄道時代よりはサービスは向上したと言えるであろう。
左手には、路盤跡がちらほらと見えている。大和田駅は、まだ駅舎(と言っても貨車を再利用したものであるが)が残っていた。

@大和田駅
その後は、ひたすら路盤跡を見続けた。かなりの部分でレールも残っており、橋梁もそのままである。

@一例
峠区間が終わると路盤跡と国道は離れていくため、観察は中止である。
秩父別でやっと乗客が1人増えて、バスは深川へと向かって行った。深川十字街の1つ手前のバスで降り、スーパーを梯子して夜用食材を揃えた。
今日の宿泊先であるが、旭川などでは面白くないため、江部乙駅の近くにある温泉に泊まることにしている。以前に泊まったのは10年以上前でありかなり久々であるが、ビジネスホテルよりは旅行気分になれるであろう。
16時36分発の列車に乗り、江部乙で下車して、旅館に向かった。

@最新車両
■2025.4.21
旅館を出て、すぐ近くにある江部乙駅に向かった。駅員がいないのはもちろんのこと、券売機すらない。ICカード利用か、整理券による清算しか手段はない。これから深川乗り換えで秩父別まで行くのだが、ICでは秩父別で降りられないし、整理券で清算するにしても、何もない深川のホームで1時間近く待たなければならない。よって、ICで深川まで乗っていったん改札から出てしまい、そこから先は切符を買うことにしている。高くなってしまうが、仕方がない。

@江部乙駅
待ち時間解消のために「次の列車に」と思いそうになるが、8時03分発の次は、なんと13時02分なのである。函館本線は特急が頻繁に走っている幹線ではあるが、各駅停車に関しては超絶ローカル線である。
8時03分発の列車に乗り、深川へ。しばし町中散策をしてから駅に戻り、9時13分発の石狩沼田行に乗り込んだ。

@短くなった留萌本線
残り1年弱となった留萌本線であるが、これが乗り納めかと思う。私は「惜別」シリーズの旅行記を作成しているが、留萌本線にはこれまで2回書いており(留萌以降が廃止になった時と、石狩沼田以降が廃止になった時)、最後の区間が廃止になる前に再訪するかというと、もう微妙な感じである(もしかしたら、何かのついでで乗ることがあるかもしれないが)。
列車は、4人の乗客を乗せて出発した。全員、明らかに鉄道専門の方であり(撮影などをしている)、地元民はゼロであった。
9時23分、秩父別で下車した。

@秩父別駅
この後は秩父別をプチ観光してから、沼田まで歩く予定である(どうせ暇なので)。
まずは、道の駅へと向かった。スタンプが2つあったので押してみると、1つは道の駅で、もう1つはJR秩父別駅のスタンプであった。
新鮮な野菜でも売っていたら買おうと思っていたが、小さな売店であり、野菜類はおいていなかった。その代わり、「ぽてとちっぷべつ」なるものがあったので、つい買ってしまった。観光地にある企画ものは割高なものが多いが、ここのはそうではなかった(税込200円)からである。

@記念に
その後は、ひたすら歩き続けた。沼田までの道は何もないが、白鳥を見たりして歩き続けた。
2時間弱歩き続けて、やっと沼田町に到着した。それにしても、寂しい町である。秩父別の方が、町の規模が大きいのではないだろうか。
町中で見つけたスーパーでパンを買い、駅へと向かった。

@石狩沼田駅
駅舎の前には、廃線までのカウントダウンが表示されている(表紙写真)。もう1年未満の命である。
ここからの切符であるが、事前に購入してある。というのも、以前、記念にするため廃止となる新十津川までの切符を買って降りようとしたところ、「無効印がないためお渡しできません」と言われて強制没収されてしまった経験があるからである(運転手の発言に間違いはないが、しかし、それを目的に訪問している(お金を落としている)のであるから、余りにも世知辛い)。よって、無効印が確実にある旭川行の切符ならば、問題ないはずである。

@切符
折り返し12時56分発となる列車は、定刻から少し遅れてやって来た。
石狩沼田出発は、定刻であった。車内は、私を含めてたったの2人だけである。これはもう、廃線もやむを得ないであろう。途中駅で乗る人も皆無で、最後まで2人だけであった。

@乗り納め(ガラガラ)
【過去のシリーズ】
駅のない終着駅へ Part1(三段峡駅)
駅のない終着駅へ Part2(加津佐駅)
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