駅のない終着駅へ Part5

鉄旅(国内) ※観光列車も
くりはら田園鉄道

■はじめに
 鉄道が廃止されたことにより「ご無沙汰」となった終着駅に訪問するこのシリーズであるが、5回目の今回は、くりはら田園鉄道の細倉マインパーク前駅と、十和田観光電鉄の十和田市駅を訪問したい。
(なお、同じ旅行の流れで岩泉線の岩泉にも行くが、旅行記として長くなってしまうため、それはPart6として紹介する予定である)
 使用する切符は、大人の休日倶楽部パスである。JR東日本だけでなく、第三セクターである三陸鉄道などにも乗り放題であり、新幹線や特急にも乗車できる。指定券も6回まで利用可能であり、5日も使えるのにたったの18,800円である(1日当たり3,800円にも満たない)。定職のある時代は、週末+有休1日で3日分使うのが関の山であったが、今はもう無職であるため、これを5日分有効活用したい。最初の2日間で今回の旅を行い、3日目が岩泉線、そして4日目以降は違うテーマで乗り鉄をする予定である。

■2025.6.23
 7時台に最寄駅に行き、JRを乗り継いで大宮に向かった。通勤ラッシュ時間帯に乗車するのは、久々である(これだけで疲れてしまった)。
 8時21分発の新幹線「はやぶさ」に乗り、仙台へ。仙台からは東北本線の各駅停車に乗り換えるが、この地域にありがちな残念なロングシート車両である。

@旅行向きではない

 9時48分に仙台を出発し、小牛田には10時34分に到着した。くりはら田園鉄道が接続していた石越駅はまだ先であるためここで乗り継ぐが、22分も待たなければならない。あまり接続が短いと大変であるが、何もない駅での20分以上も暇である。
 目の前には貨物列車が係留されているが、先頭の機関車が電気機関車+ディーゼル機関車である。はてどういうことかと見守っていると、電気機関車だけが切り離されて走って行った。

@謎編成

 10時56分に小牛田を出発し(当然ロングシート車両)、石越には11時20分に到着した。この駅が、2007年4月までくりはら田園鉄道の接続駅であったところである。今となっては、駅があった場所は駐車場となっており、痕跡は何もない。

@現時点の様子

 私が初めてこの駅を訪れたのは、2002年の9月である。東北地方の私鉄乗り潰しの旅として、福島交通・くりはら田園鉄道・十和田観光電鉄・弘南鉄道などに乗った旅であった。
 くりはら田園鉄道の石越駅舎はJRとは別に独立して存在しており、古びた木造の建物であった。

@在りし日の駅舎

 旅程の詳細は保存していないが、ここからくりはら田園鉄道に乗って終点の細倉マインパーク前まで行き、そこからバスに乗り継いで温湯温泉の佐藤旅館に泊まったのであった。佐藤旅館は震災後に営業を中止していたが、今は再開している。
 当時の石越駅ホームの写真も、1枚撮っていた(ネガフィルム時代であるため、撮影枚数はかなり少なかった)。JR東北本線との位置関係が分かるであろう。

@在りし日の車両

 これから乗車する代替バスは、11時30分発の市民バスである。運行本数は平日でたったの6往復で、土日はさらに減って4往復だけである。要するに、その程度で間に合うくらいしか需要はないのであろう。
 しばらくしてやって来たバスに、乗り込んだ。

@代替バス

 定刻に石越駅前を出発したが、乗客はなんと私1人だけである。ただでさえ本数が少ないのに、この乗客数である。
 所々で、鉄道の路盤跡と交差して行く。現役時代は沿線では最も大きな町であった栗駒駅であるが、駅舎などはすべて撤去されていたが、レールは残っていた。

@栗駒駅跡

 ずっと寂しい車内であったが、岩ケ崎変電所バス停で2人の乗客が増えた。総計たったの3人であるから、少ないことに変わりはないが。
 廃線後20年近く経過しているのにそのままになっているレールが多いが、ネット情報によると「重金属を輸送していたため、路盤が汚染されている」ことも関係しているという。

@変電所付近の廃線跡

 12時27分、終点である細倉マインパーク入口バス停で下車した。勢いで終点まで乗って来たが、駅跡に近いバス停は1つ手前の細倉バス停である。1時間弱も乗車して料金はたったの200円であるが、これは市民バスという立ち位置に因るのであろう。
 下り坂を歩いて戻って行き、駅跡に向かった。細倉マインパーク前駅の駅舎は、解体されずに残っていた。

@駅舎

 駅前すぐの場所には、小さな電気機関車と貨車が展示されている。くりはら田園鉄道は、元は鉱石輸送が収支のメインであったが、1988年に閉山となってからは貨物輸送が無くなり経営状況が下向きとなり、その後の状況は言うまでもない。

@駅前に展示されている車両たち

 この機関車には、見覚えがある。2002年の訪問時にも展示されていたが、当時は屋根などはない状態であった。

@「乗って残そう栗原電鉄」の標語が悲しさを誘う

 今から23年も前、しかも1回しか来たことがないため、詳細なことはほとんど覚えていない(前述した通り、ネガフィルムのカメラであったため、撮影枚数もかなり少なくて思い出す手掛かりもない)。
 駅であるが、ホームもそのまま残っていた。降り立った記憶はないが、なんとなく思い出しそうでもある。

@ホーム跡

 見学を終えてから細倉バス停を13時02分に出発するバスに乗り、石越方面に戻って行った。バス路線は時折鉄道跡と交差して行く。金成総合支所付近には沢辺駅跡があったが、ホームだけが残っている状態であった。

@ちょっと遠いですが

 13時51分、銀行前という地味なバス停で下車した。ここから歩いて、若柳駅跡に行くためである。
 数分歩いて駅跡にやって来たが、道路向かいには「くりでんミュージアム」という施設がある。今日は時間の関係でスルーするが、ここは2021年に訪問済みであり、車両本体を含めて様々な関連物品等が展示されている。

@一例

 若柳駅跡であるが、自由に見学できるようになっていた。木造の味わいのある駅舎であり、昭和の趣がいっぱいである。

@若柳駅

 敷地内には、3両の客車が係留されており、それ以外にも機関車や貨車もたくさんある。3両のうち1両は、2002年に私が乗車したこげ茶色の車両であった。

@客車の例

 なお駅跡の隣には大きな車庫があり、その中にも車両がある。この車両は動態保存(運転できる状態での保存)されており、不定期で乗車会が行われているという。
 見学を終えた後は、バスの本数が少ないため石越駅まで40分ほど歩いて向かった。各駅停車で一ノ関に向かい、新幹線で盛岡へ。今日は盛岡市内の安ホテルに滞在である。

■2025.6.24
 6時54分発の「はやぶさ」に乗り八戸まで移動し、そこからは第三セクターである青い森鉄道に乗り換えた。

@青い森鉄道

 8時06分に出発する予定であるが、なかなか動き出さない。結局8分の遅れで八戸を出発したが、三沢での乗り換え時間が10分しかないからかなり不安である。
 少しだけ遅れを取り戻し、定刻から7分遅れた8時32分に三沢に到着した。バスが来るまで後3分であるが、なんとか許容範囲である。
 駅前ロータリーで待っていると、十和田市内方面に行くバスがやって来た。

@路線バス

 車内の乗客は私を含めても3人だけであり、寂しい限りである。しかし、悲劇的な本数であったくりはら田園鉄道代替バスとは違い、こちらは1時間に1本くらいあるので、使用頻度は高そうである。定刻に出発した。
 鉄道の路盤に沿う部分は少ないし、それにこちらはレールが撤去されている部分が多いため、バス乗車中には廃線跡をほとんど見つけることができなかった。
 終点までは行かず、9時04分に元町東バス停で下車した。この付近に十和田市駅があったからである。その場所に行ってみたが、驚くほどに何もない場所である。

@駅跡です

 駅舎がないことはもちろん、ホームやレール、柵など、まったく遺構がないのである(コンクリート片が少し残っている程度)。2002年の旅行以外にも、廃線前の2011年12月にもここを訪問しているが、その時を思い出させるものは何も残っていなかった。

@2011年当時(左側にある住宅は変わらない)

 元より何もないことはネットでの事前調査で知っていたため、探索はこれで終了である。時間が余っているが、十和田市内には現代美術館があり、無料で見られる屋外展示もたくさんあるため、暇にはならない。

@色々あり

 屋外展示を見終えたので、バスで三沢方面に戻るべく、十和田市中央バス停に向かって歩き始めた。適当に歩いていたのだが、なんとSLが見えてくるではないか。このような、予想外の鉄ネタとの遭遇は嬉しいものである。

@予想外(D51)

 SLがあった場所からそれほど遠くないバス停に行くと、待合室のような建物があり、ぷんと蕎麦の香りがする。上を見上げてみると、「とうてつ駅そば」の看板があるではないか。

@営業中

 調べてみると、十和田市駅舎にあった蕎麦屋が移転して営業しているという。2011年に十和田市に来た際はデジカメになっていたのでそれなりの枚数を撮影しているが、それを見てみると、駅そばの店舗と蕎麦が映っていた。食べたこと自体すっかり忘れていたが、なんだか懐かしくなってしまった。

@以前の駅そば

 9時47分発の三沢駅行バスに乗り、10時08分に到着した七百バス停で下車した。ここから数分歩いたところにある、七百駅跡に行くためである。
 歩くことしばし、駅舎が見えてきた。

@ここは駅舎が残っている

 駅の隣には車庫が残っており、不定期でイベントも行っているということである。
 ホームやレールも残っているが、ロープがあって敷地内には入れないようになっている(ロープくらい簡単に跨げるが、倫理的にアウトである)。ということで、反対側まで行ってその様子を収めた。

@現状のホーム

 2011年12月にここに来た際にはイベントが行われており、古い保存車両を使った列車の運行などが行われていた。

@2両編成のイベント列車が引込線を移動する

@イベント列車(保存車両)の出発

 駅付近の見学をしてバス停に戻ったが、次のバスが車で40分以上もある。ということで、バス路線図を参考にしながら、大曲バス停まで40分ほど歩いて行った(かなり歩いたが、浮かせられたバス代はたったの90円であったが)。そこからバスに乗り、三沢駅に戻った。
 三沢駅舎であるが、十和田観光電鉄の駅跡はロータリーとなっている。以前は、超昭和の雰囲気を醸し出す駅舎があったのであるが、もう影も形もない。

@昔の駅舎

 なおこの駅舎にも蕎麦屋があり、店舗の外観などが良い味を出していた。その蕎麦屋は新しい三沢駅舎で営業しているが、在りし日の蕎麦屋と蕎麦を紹介しておきたい。

@2015年2月に訪問

 これで、十和田観光電鉄を再訪する旅は終了である。過去データには、三沢駅に列車が到着する動画もあったので、それも紹介しておきたい。

@東急お下がりの車両が三沢駅に到着

 さて、十和田観光電鉄であるが、2002年の旅でも訪問している。その時の1枚がなんとも味があるので(おばあさんが良い味を出している)、その写真をこの旅行記の最後の1枚としたい。

@昔の十和田市駅にて

【過去のシリーズ】
駅のない終着駅へ Part1(三段峡駅)
駅のない終着駅へ Part2(加津佐駅)

駅のない終着駅へ Part3(おまけで「惜別・留萌本線」)(留萌駅・増毛駅)

駅のない終着駅へ Part4(輪島駅)

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