■はじめに
近くて遠い国、そしてこのご時世において世襲により社会主義国家を継続している国、北朝鮮である。今ここでその詳細についてここで紹介する必要はないと思うが、旅行者としては、最も足の踏み入れ難い国のうちの1つである。
日本政府は北朝鮮への入国を避けるよう国民に勧告しているが、いくつかの方法はある。最も手ごろなのは、在日などを対象にツアーを組んでいる日本の旅行社であり、通訳も日朝であるため楽ではあるが、値段(高い)やその内容(訪問先が定番のみ)からして、あまり惹かれる内容ではない。
他の選択肢としては中国の旅行社であるが、これは言語的に無理である(私の中国語能力は買い物程度)。最後の選択肢としては、英国の旅行社(事務所は中国)である。英語さえできれば、これが最良の選択肢となる。
ただし、旅行社の内容は様々である。「安かろう悪かろう」ではないであろうが、格安を謳っている某社では、米国人の参加者が旅行中に拘束され、その後しばらくして脳障害を負った状態で帰国して間もなく死亡した記事は記憶に新しいところである。
ということで、別の旅行社(比較的歴史のある会社)のサイトを定期的に観察してきたが、ツアーの内容が「平壌に数日滞在して、正直見たくもない施設や演技を見るもの」ばかりであり、とても行きたいとは思えないものばかりであった。ところが2018年の春、なんと平壌から夜行列車に乗って東端の都市(羅先(ラソン)特別市にある羅津(ラジン))まで行き、ロシアと中国との国境なども訪問、最終日には中国の東端にある延吉(朝鮮族自治州)に出国するという、その名も「Train Tour」なるものが発表されたではないか(ネットで検索すると、過去にも数は少ないが似たようなツアーが実施されていたようである)。諸般の理由で「行くべきではない国」であることは重々承知しているが、このようなツアーがあったのでは、どうしても逃したくない。
ということで、すぐに申し込んでしまった。その2か月後くらい(出発の2か月以上前)に満員になってしまったので、主な参加者である欧州の人にも興味がある内容なのであろう。
なお今回の旅では上述した通り東岸の町まで寝台列車で向かうが、過去の記事などを検索すると、2015年の秋に貸切列車でのツアーが実施されたのが最初のようである。2017年秋には「ロシアへ鉄道で抜けることが旅行者に許されるようだ」という英語ニュースがあり、実際に2018年の2月末には、前半は今回の旅程とほぼ同じで、そして中国ではなくてロシアに出国するという旅行が、私が参加する旅行社により実施されている。いずれにしても、最近になって許されるようになってきたレアなコースである。
余談ではあるが、出発の約1か月前、日本人の旅行者「自称映像クリエイター」が北朝鮮で拘束されるという事件があった。私個人としては「良くないタイミングで面倒なことをしてくれた」という感じであったが、私が出発する前にその人は解放された。この事件に関する英文記事をあれこれ探したところ、私が参加する旅行社の代表が「我が社には関係ない」と言っているものを発見したので、幸いにもその日本人が参加したツアーは別会社のようであった。事前に旅行社から注意書きを羅列したパンフレットをもらっているが、要するに「きちんと言われたことを守る・禁止されたことをしない」ようにすれば、問題ないということである(おそらくその自称映像クリエイターは、こっそり何かを撮影したのであろう)。勧告を無視してシリアなどに行って人質に取られるのは論外であるが、しかるべき規範さえ守れば、なんとか(自己責任の範疇で)訪問することが可能な国でもある。
出発前にさらに追加された問題が、「8月11日から9月5日まで外国人観光客受入を中止する」という発表であった。理由は不明であったが、帰国後に調べた情報によると、9月9日の軍事パレードと、同19日の南北首脳会談の準備であったようである。幸い、私の旅程(9月10日から17日まで)は影響されることがなかった。
【旅程】(あくまで書類上)
1日目:北京から丹東行の寝台列車に乗車(車中泊)。
2日目:丹東着。平壌行に乗り、夕方17~18時に到着予定(平壌泊)。
3日目:平壌1日ツアー(地下鉄乗車含む)(平壌泊)。
4日目:朝、羅津方面行の寝台列車に乗車(車中泊)。
5日目:午後に羅津到着(羅津泊)。
6日目:羅津観光(羅津泊)。
7日目:豆満江(トマンガン)方面観光(当初旅程ではこの日の夕方に中国の延吉に出国する予定であったが、出国の都合(日曜日はイミグレが閉まっている)ということで、翌日に延期に。日本出発の前にわかっていたため、フライトは変更済みである)(羅津泊)。
8日目:午前中に延吉へ脱北(?)。
*北朝鮮への渡航は原則禁止されております。渡航に関するすべては自己責任となります。この旅行記は、渡航を奨励するものではありません。
■2018.9.10
地下鉄を乗り継いで、北京市内にある旅行会社へと向かった(乗り換え予定の駅が工事中で乗り換え不可であり、さらに殺人的通勤ラッシュもあって、予定の9時から少し遅刻してしまったが)。
他の個人ツアー客と合同のブリーフィングであり、事前にもらっていたパンフレットの繰り返し(体制への敬意のこと、写真撮影のこと、宗教のこと等々)を45分くらいで説明を受けた。
説明を終えてからは、残りの旅行代金を支払って、丹東までの切符と北朝鮮ビザ(ツーリストカード)をもらった。今日は直行便ではなく、丹東で乗り換える必要があるという。

@北朝鮮ビザの表紙(ここにスタンプが増える。この裏に個人情報があり、ビザ自体は北朝鮮出国時に回収されてしまう)
ブリーフィングが終わったのが11時少し前であり、中途半端な時間は頤和園に行って時間を潰した。
丹東行は17時27分発であるが、余裕をもって1時間ほど前に北京駅に到着した。というのも、今日の寝台は硬臥(三段式)であるが、実は初めての体験なのである。私は幸いにも下段であるので窓側は確保できるであろうが、変な団体に先を越されるとその場所も取られかねないため、念のための対策である。
昨日と同じ手続きで駅構内に入ったが、行先(直行しない場合でも行先は不変)が「平壌」であるのに、やはり高揚感を覚える。

@異国へ
出発の30分くらい前に改札が始まったので、ホームへ。いつもなら編成を確認したりするが、今日は自室へ直行である(電光掲示によれば、16両編成のよう)。幸い先客はおらず、場所を確保してからズボンを着替えたりした(結果論からすると、6人のうち4人は同じツアーの客であったため、窓取り競争は杞憂に終わった)。
軟臥と比較するとベッドの幅も狭いが、下段であれば硬臥も悪くない(上段などは、さすがに大変そうであるが)。

@伝統の三段式
向かいのホームには、出発が2時間遅れとなった烏魯木斉行が入線してきた。車掌に断ってホームに出て、その撮影などをした。
私以外のツアー客3人(いずれも西洋人男性)も無事に集まり(上段2か所は中国人)、定刻の17時27分に出発した。
私を含めた4人のうち2人は、北朝鮮訪問歴があるという。なお今は4人だけであるが、平壌から羅津へ行く列車には、他のツアーや個人ツアーも含めて12人になる予定である。
今後の注意点(丹東での待ち合わせ場所等)を皆で確認している際に、時差の話になって「1時間進める」みたいな話になったが、同行者の1人が「時代は100年戻るけどね」と発言したので思わず笑ってしまった。
18時過ぎからは、買い込んだ食材で一献である。

@前門で仕入れた品々
■2018.9.11
停車の気配に気付いて目を覚ますと、瀋陽であった。まだ3時30分であるが、昨晩寝付いたのがかなり早いため(19時半過ぎには寝ていた)、もう起きてもいい時間であろう。長時間停車するようであったので、ズボンを着替えてホームに出てみた。

@静寂
同駅出発後、5時前後から少しずつ外が見えるようになってきた。最初は晴れていたが、じきに濃霧になっていった。中国内は霧でもいいが、初の(そして最後の?)北朝鮮だけは晴れていてほしい。
7時21分、丹東に到着した。向かいのホームには平壌行の列車が停まっており、自分が乗ってきた車両などはそっちのけで、それの撮影である。

@ついに
丹東での現地旅行社の人との待ち合わせは、8時30分に駅前にある毛沢東の像の前である。予期せず1時間程度の時間ができたため、国境にある中朝友誼橋まで行ってくることにした。地図はないが、鉄道が向かっている方角へ行けばいいだけである。
10分ほど歩いて、橋に到着した。北朝鮮衣装を着た記念撮影など、ちょっとした観光地となっている。

@左手が現在の橋、右手は戦火で破壊
駅へと戻り、旅行社の社員の手ほどきでイミグレーションを通過して、待合室に入って行った。そこでしばらく待ち、出発の約25分前になって改札が開いたのでホームへ向かった。待合室に入る時点であれこれとチェックしているので、改札ではただ単に通過した人数をチェックしているだけであった。
自室に荷物を置き、ホームに再度出て撮影をした。先頭の機関車部分は柵があって撮影不可であったので、その周囲を適当に撮影した。

@ホームの様子
車両は7両編成である。出発時刻である10時00分まで手持無沙汰であるが、その3分前になってやっと入国関係書類(3種類も)が配られた。それにしても、紙質の最悪なこと(こんな粗悪な紙は初めてである)。それはさておき、1枚目を書いているうちに定刻になって列車が動き出してしまったため、用紙は記入しなければならないし、外を見て撮影もしなければならないしで、大忙しである。

@左右非対称(これでも左側の北朝鮮は頑張ってダミー施設を建設している)
北朝鮮に入って真っ先に見えてくるのが、有名なダミー遊園地である。とてつもなく小さな観覧車は中国側からも目視できるが、なんだか「廃墟マニア」が喜びそうな状態である。こんな物なら、ない方がいいように思えるが、建設当時は「遊園地があるなんてすごい」というプロパガンダになったのかもしれない。

@寂しい
列車はすぐに速度を落とし、国境の駅である新義州へ近づいていった。私はもとより同行者全員、必要書類の記入に必死である。
駅に到着し、すぐに係員が来て、まずは健康状態に関する紙を持って行った。続いては入国関係であり、パスポートとビザを回収していった。続いては持ち込み品の申告書類であるが、とても愛想の良い人に当たったようであり、スマホもPCもただ単に実物を見せるだけでOKであった。

@車内の様子(中国製。軟臥に相当する4人部屋)
続いて別の係員が入ってきて「ヘンドゥポン(携帯電話)」と言って検査を始めた。しかし、こちらも起動したスマホを30秒くらい操作するだけであり(写真フォルダを見るくらい?)、私のものに至っては笑顔で「いいよいいよ」という感じで、中を見ることすらしなかった。
(ただし、すべての検査がこうである保証はないので、もし訪朝するのであれば禁止されている画像や動画は、削除していくべきである)

@機関車発見
さて、ここからが長丁場である(書類審査の時間)。特にすることもないが、ホーム上では派手なチマチョゴリとハイヒールと厚化粧で固めたワゴン販売員が朝鮮人参や酒や化粧品を売っていたり、車両後方には北朝鮮の車両が3両増結されて北朝鮮市民が乗り込んだり、駅舎の正面には例の2人の肖像画があったりして、もうインスタ映えしそうな要素満点であるが、駅の写真は撮らないように言われているので、ここは我慢である(北朝鮮に限らず、国境施設は撮影禁止である)。

@仕方なく、反対側で見かけた「崩れそうな車掌車」を撮影(屋根ずれている?)
なかなか動き出さないので、再度ホームに出て駅舎を観察した。建物自体は新しくないが、駅全体を覆うようなシェルター(傘)があり、これは新しいようである。ワゴンの商品を覗いたりしたが、他にすることもないので自室に戻った。12時半頃にパスポートとビザが戻ってきたが、それでもまだ列車は動かない。
13時08分、2時間ほどの長い停車を経て、やっと動き出した。ホーム上では、約50メートルおきに係員が敬礼して列車を見送っている。

@動き出した直後の風景
路盤は比較的大きな道路に沿っているが、それにしても走っている車の少ないこと。たまにトラックが来るが、これは中国の車両である。ごくまれにボロいトラックなどがある程度で、いわゆる「普通の車」がない。国民は、歩くか自転車のみである。農作業の主体も牛であり、動力がほとんどない生活である。

@想像以上にアナログ世界
人々の肌は、まるで東南アジア諸国のように色黒である(とても、中国や日本と近い民族とは思えないし、韓国とも程遠い)。日に晒される仕事が多く、日焼けケアの用品など手に入らず、そもそも日々の手入れ(入浴等)も厳しいのであろう。大人たちは疲れ切った表情をしており、ほとんどの人が道端で座り込んでいる。小さな子どもなどは無邪気なもので、こちらに手を振り返してくれたりするが、その気力もいつまで持つのであろうか。

@大変そう
14時11分、大き目の駅に到着した。10分以上も停車していたので何事かと思ったが、28分に出発してしばらくすると、右手には対向列車の丹東行が停車していた。
車内では、ワゴンの売り子(しかも女性2人組で)が何回も往復している。買う気はないがすれ違った際にワゴンを見てみると、カップ焼きそばには「ごつ盛り」などと書かれている。中国ルートであろうか、それとも在日などから送付してもらっているのであろうか、謎である。
しばらくすると左手に果樹園(りんごのようなもの)が見えてきたが、間引いてないので実がなり過ぎである。あれではちっとも甘くないであろうし、見るからに色も悪い。田んぼも結構雑草が混ざっており、農業の管理については「まだまだ」という感じである。

@メインは牛(耕運機など皆無)
自家用車は相変わらずほとんどないが、まれに走っているのがあると外車であったりするので、貧富の差がとんでもないことがわかる。道端にはスローガンを示した標識(コンクリ製)がたくさんあるが、あんなものよりも人民にお金を使えば、という考えがよぎる(そもそも、ミサイルと核開発のお金を人民に回すだけで、かなり裕福になるはずであるが、それをしない・できないのが今の体制なのであろう)。

@メインは自転車(バイクなど論外)
田んぼに雑草が多いと書いたが、米自体はきちんと成長しているようである。干からび気味のトウモロコシも結構あるので、今年は何万人も餓死するような飢餓にはならないような予感がする。しかし、山は木が少なく、川も流れるがままなので(要するに治山治水をまったくしていないので)、一たび災害が起これば、状況は一変するであろう。
この路線は朝鮮半島の西海岸を走るが、海際ではないため、意外に多くのトンネルがある。峠のような高低差はないが、スピードがのろくなる→トンネル、というのが何回かあった。

@すべての駅に肖像画
沿線風景で目立った風景を、いくつか紹介したい。

@崩れそうな家々

@農作業は手作業が基本

@牛車もボロボロ

@車は珍しい存在
ふと左手を見ると、やけに小さなローカル列車を発見した。廃車のような状態であるが、中にはちゃんと乗客がいた。

@動きます
道路が舗装されていないので、まれにトラックが走行すると、その後ろは土煙で大変である(道端にいる人が煙に巻かれていた)。
左手に初めて学校のような建物が見え(人が多く集まって何かの練習中)、15時42分にまた大きな駅に到着した。構内には貨車が係留されているが、いったい何十年前のものかと思わせるような年代物である。

@これはまだマシな方
足回りの点検(ハンマーで叩く)を終えて、同駅を49分に出発した。右手に機関車があったので撮影したが、なんだか車体が歪んでいるように見える。
16時17分に次の駅に停車し、21分に出発。ローカル列車と行き違った。

@当然、国際列車以外もある
列車は「ガタンゴトン」という昔懐かしい音を響かせながら、多少左右に揺れながら低速で進んでいく。田んぼでは網を振り回している人が何人もいるが、きっと「イナゴ採り」をしているのであろう。
ぼんやりと外を眺め、廃線跡や分岐線があるとその撮影をした。線路の上には、道路と同じく「ただ座っている」人が多い。同室の西洋人も「なんで座っているのか」と問うていたが、答えは不明である。もし彼らが農家なら、田んぼの雑草を取るなりなんなりをすればいいと思うのだが、そういう気になれないのが現状なのであろう。

@子供だけは元気
16時57分、新安州(シンアンジュ)に到着した。売り子のワゴン車が通ったので同室の人が買いに行ったが、彼が買ってきたのは「つぶつぶ白桃」なる商品であった(これも入手ルートが気になる)。
17時40分過ぎに、初めて鉱山を発見した(大規模な人工物を初めて見た感じである)。そもそも、ここまで「大きな工場」のようなものをまったく見ていない。見てくれを気にするのであれば、開城(ケソン)などではなくこの鉄道路線の沿線などに工場を建設すれば、多少は外国人観光客の目を誤魔化せると思うのだが。

@ミニミニ機関車
しばらくすると、これも初めて「大きな送電線」が見えてきたので、首都に近づきつつあるようである(他国では、送電線など田舎でもあるのが普通であるが)。
17時48分、アンジョン(漢字不明)に到着した。同駅を過ぎると、初めて「農作業をしている人々」に遭遇した(ここまでは「歩いている」「自転車を漕いでいる」「ただ座っている」「川で洗濯をしている」ばかりであった)。
18時を過ぎたが、辺りは田畑ばかりであり、「平壌はまだ?」という感じである。ただし、道は舗装道路も現れてきたので、着実に近づいていることは事実である。
舗装道路になったが、その上を走る車が究極的に少ないのはご愛敬である。

@自転車爆走中
18時25分頃になりアパートが増え始め、「今度こそ到着か」という気持ちになる。なおここで、初めて信号機を発見した。電力事情で信号機自体がないのはもちろんのこと、田舎では車やバイクがほとんどないのであるから、そもそも必要ないのである。

@初信号(バイクも増えてきた。東南アジアと比べると「ほとんどない」に近いが)
さらにビルが増え、いつまで経っても完成しない三角形の巨大な柳京ホテルが左手に見えてきて、路面電車も現れてきて、車も多くなり(あくまで田舎と比較した記述であり、首都としては恐ろしく少ない。ほとんどの人は歩いている)、18時46分、平壌に到着した。

@無事到着(写真は翌々日撮影したもの)
ホームでガイド2人と合流し、ミニバスで夕食会場へ向かった。色黒で痩せこけていた人々を見続けてきたその身で、何皿もの料理を余し気味に頂くのは、妙な感覚である(韓国と同様で、お客様には「食べきれない」量を出すのが礼儀であるため)。
夕食を終えてからは、ホテルに向かった。当初は羊角島ホテルの予定であったが、到着したのは西山ホテルであった。羊角島ホテルは、拘束され帰国後に死去した米国人ゆかりのホテルであり(5階に謎のフロアがあり、彼はここに侵入してプロパガンダのポスターを盗ったらしい)、もちろん私はそんなことはしないが、少し安心した(ホテルのランクとしてはダウングレードであるが、問題ない)。2015年に改装したということで、内装は新しい(シャワーの水圧はちょろちょろであるが)。
夕食では呑み足りなかったため、売店で大同江(テドンガン)ビール(1ドル)を買い、それを平らげてから就寝。

@BBCや多くの中国放送も映ります
■2018.9.12
さて、今日1日は普通に平壌市内観光である。この「鐡旅」では普通の観光紹介はしないため、たいていは「余所様のサイトをご参照ください」で済ませるのだが、今回はそうはいかないため、観光部分も触れておきたい。
なお以下の写真は、私の部屋(最上階の30階)からの景色である。日が昇ってからなので普通に思えるが、朝5時くらいに夜景を期待してベランダに出た際は、灯火があまりにも少ないので驚いてしまった。首都でこの有り様(ほとんど電気がない)であるから、田舎は尚更である。

@最上階より
まずは、7時半からの朝食会場へ。私は普段は朝食を食べないためスキップしていいのだが、北朝鮮のホテルの朝食を試す意味合いで行ってみた。
朝食後はホテル前の広場を散策し(1人歩きは禁止されているが、入口付近なら咎められない)、8時頃に小さいバスに乗ってツアー一行は出発した。市内には興味惹かれるプロパガンダ絵画がたくさんあるが、私がより惹かれるのは路面電車やトロリーバスなどの公共交通機関である。

@乗ってみたい
最初の目的地は、軍事パレードでおなじみの金日成広場である。それにしても、朝8時の出発=普通の町であれば朝の交通ラッシュであるが、車の流れのスムーズなこと。平日のこの時間帯でこれならば、渋滞の心配は皆無である(ただし、後述する1つの理由を除いて)。
街中では、何かの集団練習をしている女性を多く見かける(大人数で旗を振ったり太鼓を打ったり)。「統制が取れている」ことを示す1つなのかもしれないが…。
広場の後方でバスを下車し、人もまばらな中を歩いて行った。巨大なプロパガンダの構造物あるが、後ろから見るとハリボテみたいで面白い。

@倒れませんように
先述した通り、一般市民の足は「徒歩」がメインである。広場の次の目的地は外国語書店なのであるが、バスでの移動ではなく、一般市民と混ざって歩道を歩くことができた(これは予想していなかった体験。ずっとバスに缶詰めかと思っていた)。

@註:この写真に写っている人々は恵まれている人
その後も歩き続け、噴水公園に到着した。外国人向けホテルですら水圧はちょろちょろであるが、メンツもあるため、ここだけは水たっぷりの大量流し放題である。
さて、次の目的地はバスに乗って美術館である。移動をし始めたが、途中の交差点で止まってしまった。というのも、軍の移動があるからである。大きなトラックの荷台に50~60人の軍人が乗り、それが40~50台も続くのであるから、10分以上の待ちぼうけである(これが、唯一の渋滞の原因)。
やっと動き出し、美術館に到着した。これ以降の施設もそうなのだが、「人が来てからフロアの電気を付ける」ようになっており、やはり電力事情は苦しいようである。

@撮影可能
なお美術館の手前は広場になっており、左前方に金日成、右前方に金正日の肖像画があり、左手に両人の肖像画、右手に両人の銅像がある。この手の写真に興味のある人は多くはないであろうが、1葉掲載しておく。

@金正日
さて、次はお待ちかね、私が今日の1日ツアーで一番楽しみにしていた地下鉄乗車体験である。ひと昔は1駅だけだったが、今は数駅乗ることができる。
バスで駅に向かい、これまた有名なエスカレータ(モスクワの地下鉄以上に深くまで行く)で地下深くへと進んでいった。

@写真では見てきたが、ついに体験
エスカレータで降り切ったところにあるのが、路線図である。今日は始発駅から乗り、まずは1つ目で下車。さらに乗車して4つ目の凱旋(ケソン)で下車して、観光を続けることとなる。
左下に見切れているのはガイドの手だが、彼も地下鉄を使って通勤しているという(本当かどうかは不明だが)。

@路線図
そこから階段を降りると、ホームである。この部分については他の旅行記でも触れられているのが多いが、ホーム中央にある新聞を立ち読みする人民、両サイドにある絵画、奥にある金日成を中心とした肖像画など、北朝鮮を象徴するような一風景である。

@通勤風景
やってきた車両に乗り込む。そこそこの混雑具合であり、さすがに首都だけあって10人に1人くらいはスマホを持っていてゲームなどをしていた(東南アジア諸国に比べれば、まだまだ所有率は少ないが)。
次の駅で降り、しばらく撮影。この駅の肖像画は金正日である。再度列車に乗り、4つ先で予定通り下車した。

@絵画と駅員
延々と続くエスカレータで地上に出ると、丁度凱旋門の前であった(駅名「凱旋」そのまま)。2人のうち別行動であった1人のガイド(切符手配などをしていたらしい)と合流し、1人当たり5ユーロの別料金を支払って凱旋門に入った。
エレベータで上部に上がり、説明用ビデオを見て、階段を経由して展望台へと出た。しばし景色を楽しむ。

@パリの凱旋門より10メートル高い(メンツのため)
降りてからは歩いて土産物店に行き、その後はバスで昼食会場へと向かった。その最中に車がスローダウンしたのだが、その理由は例の2人の銅像がある広場前を通ったからである(「偉大なリーダーの前では速度を落とさないといけない」という、驚きの理由で時速30キロである)。
(なおこの銅像がある「万寿台」は観光ルートに必ず入る場所であり、我々の旅程でもそうであったが、今朝になって急遽キャンセルとなった。理由は「立ち入り不可になった」ということであるが、おそらく朝に見た軍の大行列が関係しているのかもしれない)

@速度を落として通過
昼食会場へ行き、またしてもあれやこれやの料理のオンパレードである。とても食べきれないが、ここでの楽しみは北朝鮮名物の冷麺が食べられるということである(私は楽しみにしていたのだが、同行のうち2人は冷麺ではなくビビンバを選択していたし、冷麺を選択した私以外の1人も、独特の麺に少し困惑しているようであった)。
締めの一品として届いた冷麺を、(日本人として食べ慣れている私は)美味しく頂いた。
(なお北朝鮮の料理は辛くないものが多く、この冷麺も辛味はほとんどゼロであった)

@待っていました
外国人向けのレストランであるが(他のテーブルも西洋人観光客とガイドばかり)、BGMとしてカラオケが流れており、各曲のテーマがすべて軍関係なのがいかにもこの国である。
続いて党創立記念塔を見学し(先ほどの凱旋門もそうであるが、行く先々で専用の女性ガイドがいる)、そこから歩いて近くにある施設(金日成、金正日、金正恩の絵画を展示している施設)へ行き、その後は再度バスに乗り込んで次の目的地に向かった。
その途中、歩道を歩く大量の人々を発見したが、彼らは今夜のマスゲームに出演する人々だという(かなり遠くにある会場までずっと徒歩!)。また軍用トラックで運ばれている人もたくさんおり、彼らもそうであるという。

@トラックで行けるだけ幸せ?(人民が乗っているので撮影したが、軍関係は全部撮影不可というのであれば、トラックが軍用なのでこの写真もアウトかもしれない)
続いての目的地は、主体思想塔である。またしても専用女性ガイドが現れ、彼女の説明を聞いてからエレベータで頂上へ向かった(ここも別料金5ユーロ)。
眼下はビルが連なっているが、それらは「手の届きそうな」範囲だけであり、その先にはもう農村地帯が広がっている。煙突が見えたのでガイドに尋ねたら、なんと発電所であるという(こんな町の近くに?)。

@ここも有名観光地
その後はコーヒーショップで時間を潰し(万寿台がキャンセルになったので、時間調整が必要であったのだろう)、次の戦争博物館へ向かった。
現地に着くと、なんと入口付近が数百名の軍人と軍用トラックで埋め尽くされているではないか。茶褐色の軍服を着た者だけでなく、セーラーを着た女性隊員も山のようにいる。10代から20代前半の若手が中心のようであり、急に現れた西洋人を物珍しそうな眼差しで見ている。インスタ映え500%の風景であるが、もちろん写真撮影など不可である。
軍人の横をすり抜け、敷地内に入って行った。

@敷地内にて(軍人が映らないよう配慮)
まずは拿捕された米国船を見学し、その後博物館に入って行った。とてつもなく巨大な建物であり、内部の造りや展示物もかなりお金をかけて作ったことが伺える。これまで見てきた一連の建物とは違い、内部の照明も燦燦と輝いている(減光などしていない)。特に最上階にある巨大なジオラマ(舞台装置が一周する)などは、私がこの手で経験した中で最もスケールが大きい精巧なものであった。もっと違う部分(人民の生活)にお金をかければいいのに…と思うが。
英語の堪能な美人ガイドの話を聞いていると、自分が北朝鮮にいることをうっかり忘れそうになるが(しかもその前後は食べきれない料理ばかりである)、よく考えれば尋常でないことなのである。

@平壌名物の交通整理お姉さん
博物館を終えてからは、軍人渋滞に嵌ったりしながらスーパーへ行って買い物をした(明日出発の列車には食堂車がないため、ここで2日分の食材を買いそろえる必要あり)。インスタント麺や調味料など、日本のものも色々とあるが、経済制裁下においてどうやって入手しているのであろうか。
続いて夕食である。外国人向けの食堂であるが、昼は西洋人ばかりであったのと対照的に今度は中国人ばかりである(当然うるさい)。観光客の割合からすると中国人観光客が圧倒的に多いので、北朝鮮にとっては大事なお客様である。
大量の料理を余らせ、締めのビビンバを食べていると、停電になった。この旅行でこの後に何度も経験するが、これが初停電であった。特に今日は大量電力を消費するマスゲームがあるので、そちらが優先されているのであろう。

@非常用電灯灯火中
ほとんどが中国人観光客であるが、私が食べている途中に隣りのテーブルに来たのは日本人の夫婦であった。このご時世によく…と思うが、私も人のことは言えない。
夕食後は、マスゲームを観覧するためにスタジアムに移動である(この旅行を申し込んだ時点ではマスゲームの予定はなかったが、その後急遽開催が決まったのである)。10万人規模の行事に車で行って渋滞の心配はないのか? ご安心あれ、出場者や観覧者のほとんどは、徒歩や軍用トラックでの移動である。
移動の途中、柳京ホテルがライトアップされているのが見えた。見てくれはさておき、さっさと開業すればいいのに、と思う。

@外見だけは素晴らしい
19時半過ぎにスタジアムに到着し、指定された席へと向かった。外国人向けでは一番安い席(と言っても100ユーロするが。最も高いのは800ユーロ)であるが、スタジアムの中央付近の良い位置であった。
20時00分、開幕である。あれこれと個人的に思うところもあるが(この演技をするために駆り出される人間と、その労力等)、それは割愛したい(個人的感情として、「すごい」と「可哀そう」という相反する感情が対立するため、正確な表現できないのである)。

@せめて鐡ネタを
1時間半の公演見届けて、ホテルに戻り就寝(もちろん、売店でビールを買ってそれを空けてから)。
【旅行記の後半は、以下をご覧ください】
【以下もご覧ください】
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